万葉集巻の三に次のような歌がある。
石上乙麻呂朝臣の歌一首
雨降らば着むと思へる笠の山人にな着せそ濡れは漬づとも
万葉集巻・374
歌の意味は、「雨が降ったら着ようと思っている笠…その笠の山よ。他人には着せてはいけないよ。たとえひどく雨に濡れようとも。」ぐらいかなと思う。「笠の山」の語には作者の思う女のことが暗示されていると理解しないと、一首の意味があまりよくわからない…と私は思っているのだがいかがだろうか。
ところで、今回私がこの歌を皆さんにお示ししたのも、この「笠の山」という語についてのことなのだが、問題は上のようなことではなく、この「笠の山」の位置についてである。
私がざっと見回したところでは、奈良市の御蓋山あたりのことではないかという意見が大勢を占めているようにも見える本当にざっと見渡しただけだが。が、一部に、私の住む桜井市の笠という地域のことではないかという考えも示されている。笠の里は私の住んでいる場所からすれば三輪山の裏側に当たる位置。まことに身近な場所である。となれば、たとえ大勢が奈良の御蓋山だと言っていても、桜井市の住人としては、「ひょっとしたらこっちかも…」と思いたくなるのは自然のことである。
確かに作者の石上乙麻呂は平城京の人。彼が普段目にしていたのは御蓋山であり、桜井の笠の里ではない。だいいち、笠の里は盆地から見れば竜王連山の裏側に位置する山間の地域であり、盆地からは見えない。それをわざわざ「笠の山」と詠むことは考えにくい。また、この歌が置かれている位置の直前には山部赤人の、
高座の御笠の山に鳴く鳥の止めば継がるる恋もするかも
万葉集巻三・373
が置かれている。なんとなく、次に並ぶこの歌も御蓋山を歌っているのではないかなんて思ってしまう。しかしながら、理屈ではわかっていてもなんとなく自分のところに惹きつけて物事を考えたくなってしまうのが人情というもの。
てなことを急に思いついたのは…実は先週の週末にこの笠の里に足を運んでいたからである。この時期にここに足を運ぶ目的は…
こんな感じである。笠という地の地形もおおよその所ご理解いただけると思う。
こんなことをいうと、ますますここが笠の山という何はふさわしくない地形のように感じられてしまうような気がしないでもないが…
ところで、これだけその花が咲いているならば、その実はどうなるんだとお思いになる方もいらっしゃるかと思う。
ご心配は無用である。
ちゃあんとその身を引いてこねて伸ばして、細長く切ったもの…回りくどい言い方をしたが…蕎麦の方も食べさせてくれるお店はある。