玉たすき 畝傍の山の 橿原の ひじりの御代ゆ1

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町中の、ささやかなお社である。昨日出張の際に見かけたのでちょいと一枚とっておいた。場所は御所ごせ市柏原。
御所市柏原 神武天皇社 2012.6.14 - panoramio
お社の名前は神武天皇社。拝殿の横の橿原市観光協会による説明書きには次のようにある。

祭神は神倭伊波礼昆古命(カムセマトイワレヒコノミコト)で、初代神武天皇の即位した場所であるといわれる。享保二年(一七三六年)の大和誌には「橿原宮。柏原村に在り」と記し、本居宣長も明和九年(一七七二年)の「菅笠日記」に「畝傍山の近くに橿原という地名はなく一里あまり西南にあることを里人から聞いた」と記している。

言い伝えによると、この地が宮跡に指定されると住民が他に移住しなければならなくなるので、明治のはじめに証拠書類を全て焼却して指定を逃れたという。

・・・・・・・中略・・・・・・・

☆里の北西には「本馬ほんま山」(標高一四三メートル)があり、神武が国見をした「掖上の嗛間ほほまの丘」であると伝えられる。

「証拠書類を全て焼却」とは、最近どこかで聞いたことのあるような・・・まあ、現在の神武天皇陵の設置にあたっても強制移転が伴ったというから、こちらのほうはその気持ちはわからないでもない。

まずは写真である。後ろに見えるのが「嗛間の丘(本馬山)」である。説明文中の神武天皇の国見とは以下の如し。日本書紀、神武天皇の31年4月のことである。国内を巡幸なさっていた神武天皇は掖上の嗛間の丘の登り国見なされた。その時のお言葉が

あなにや、国を獲つること 内木綿うつゆふのまき国といえども、なお蜻蛉あきつ臀呫となめせる如くあるかな。

「まあ何と素晴らしい国を得たことよ。少々手狭ではあるが、蜻蛉が交尾をしているようである」と、我が国土を望見なされたご感想だ。

いわゆる国ボメをなさったわけであるが、このことから我が国土の別名は秋津洲あきづしまとなったのだという。「臀呫」とは臀部を呫めること、すなわち交尾を意味し、蜻蛉が互いに陰部をかみ合って飛んでいる様を言う。天皇ともあろうお方が国見という公の場で・・・とも思えるようなお言葉であるが、古代にあって人々は蜻蛉に呪術的な力を感じ取っていた。その蜻蛉が盛んに交尾しているわけだから、そのまねをして穀物たちも・・・かくして秋の豊かな実りが約束されるという次第であったのだろう。

さて、問題は上の説明文の、この地が「初代神武天皇が即位した場所」という一節である。大和誌や本居宣長の菅笠日記をその根拠としているわけであるが、聞けばそのほかにも、この地域にそのような伝承があったようである。そしてそれらの多くの「証拠書類は焼却」されたのである。とりあえず、宣長先生のお言葉を引用する。

橿原宮は、このわたりにぞ有つらんと思ひて

うねびやま見ればかしこしかしばらのひじりの御世の大宮どころ

今かしばらてふ名はのこらぬかととへば、さいふさ言ふ村はこれより一里あまりにしみなみの方にこそ侍れ・・・といふ。

これらに興味を持たれている方々は少なくなく、神武天皇は本当は現在の御所市柏原にて即位なさったのだという言説がネット上でも散見できる.

確かに、これまで「橿原」なる地名については、何も考えることなく漠然と現在の「橿原」という地名がそれが古事記や万葉集のそれに直接に結びつくものと信じていた。軽い衝撃である。なにせ、宣長先生までがこのようにおっしゃっている。これはちょいとまじめに考えて見なければならない。

ということで、しばらくこの件についての考察を続けたいと思う。

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