おや、こんなところに築造されたばかりの前方後円墳が…
振り向いて見ると…
大和の随一の神の社、大物主大神の鎮まりたまう三輪山が、建造物の間から見える。ここは…いったい…?
わが町、桜井市の中核たる駅、桜井駅である。
大阪ー名古屋を結ぶ近鉄大阪線、JR奈良駅と大和高田とを結ぶ桜井線がここで交差している。
駅の出口には何やら人溜まりが出来、行列のようになっている。この集団こそ、本日の万葉ウオーキングに参加しようとお集まりの面々である。当然のこと、私もその列に加わる。そして参加の申込みをし、いただいた資料は…
この2つである。上の資料の表紙、上表紙の見事な絵図は「大和名所図会」のもの。
から、「大和名所図会」は見ることができる(184コマ目)。下は、山の辺の道美化促進協議会が発行しているガイドで、山の辺の道の道筋やら名所を案内してくれているが…このガイドですごいなあ〜と思うのは、名所案内の裏面にある「山の辺の道歌碑」。全部で38基のの歌碑がそこには示されている。北から順番に①〜㊳と番号が振られているのだが、その⑬以降からは、歌碑の文字を揮毫された方のお名前が記してある。会津八一・佐藤佐太郎・武者小路実篤・山本健吉…そうそうたる面々である。ほかにも、岡潔・棟方志功・川端康成・東山魁夷・久松潜一…綺羅星の如き名がぞこには連なっている。
そうそう忘れてはならない。歌碑ではないが山辺の道を歩いているとよく目につく「山邉道」と書いた道標は小林秀雄のものだ。
本日の講師、高岡市万葉歴史館館長坂本信幸先生が本日の講師5人を代表して挨拶。本日のコースについての概略とポイントについて…そして、様々な諸注意をいただく。
すると…後ろから我が名を呼ぶ声、「はて…今日集まっている中で私の名を知っているのは、せいぜい前にいる講師の先生方ぐらい、誰が私を呼ぶのだろうか…?」と思いつつ振り向くと、我が母校の万葉輪講会の後輩のS君であった。確か薄氷堂さんが奈良においでになられた時に訪れた大神神社で偶然出会って以来のことだから、もう10年近く会っていなかったのかと思う。我々の年では10年も経てばだいぶ様相が変わってくる。おまけに互いにマスクをしているわけだから気づかないのも当然か…と思いつつ、彼は私を気づいてくれた。少々悪いな、なんて思いつつ「ようっ」と返事を返す。
なあんて前置きはここまで。そろそろ出発しなければならない。
桜井駅から山辺の道の始発点と思われる位置まで少々歩かねばならない。北へ400mの交差点を右に曲がり東へ700m。コンビニを左に曲がり北に400m。
大和川…初瀬川のほとりにたどり着く。三輪山がこんなふうに見え始める。
いよいよ、山辺の道の始発である。今日は1日、この山の麓をふらつきまわる…
コメント
> 大神神社で偶然出会って以来
Sさんというお名前は存じ上げませんでしたが、お二人が挨拶を交しておられたことはよく覚えています。人間の記憶とはげにも不思議なるかな。
暑い日でしたねえ、あの日は。
あの時以来だなあ、なんて話をしたら何でも身内に体調の悪い方がいらっしゃってそれじゃあということで急に思い立ってやってきたようです。
[…] その間、同じような催しで 万葉ウオーキングに参加しました 1おや、こんなところに築造されたばかりの前方後円墳が…振り向いて見ると…大和の随一の神の社もり、大物主おほものぬし大神の鎮まりたまう三輪山が、建造物の間から見える。ここは…いったい…?わが町、桜井市の中核たる駅、桜井駅である。大阪ー名古屋を結www.sanpendo.com なんてものに参加してきたが、これは主催団体が違う。こちらは「万葉ウオーキングクラブ」という団体が主催している講師の先生はあまり違わない。 […]
[…] その間、別の団体の主催する「万葉ウオーキング(万葉を歩く会)」という催しに2回ほど参加してはいたが、 石上から和爾坂へ(第2回万葉ウオーキング)その111月3日、朝の9時を過ぎたころ、私は天理の駅前にいた。ご覧のように快晴とまではいかないが、今日はちょいと長い距離を歩かねばならぬ私あるいは私たちにとってにとってほど良い天気である。今日は「万葉ウオーキングクラブ」という団体の催す「万葉ウオwww.sanpendo.com 万葉ウオーキングに参加しました 1おや、こんなところに築造されたばかりの前方後円墳が…振り向いて見ると…大和の随一の神の社もり、大物主おほものぬし大神の鎮まりたまう三輪山が、建造物の間から見える。ここは…いったい…?わが町、桜井市の中核たる駅、桜井駅である。大阪ー名古屋を結www.sanpendo.com 私がこのような催しに参加するようになったのは、そもそもがこの万葉学会の催事のおかげである。 […]