村屋坐弥冨都比売神社 続続

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前回に続く

ご本殿の右隣にあるのが、村屋神社。ご覧のようなこじんまりとした二つ並びのお社である。

ここにいらっしゃる神様こちら。

武甕槌たけみかづち命と経津主ふつぬし命のお二方である。利根川をはさんで、武甕槌命は鹿島神宮に経津主命は香取神宮とに祀られていることでも知られているが、それはヤマト政権による東方侵略の守護神としての位置づけによるものであろう。日本書紀によれば、高天原が地上の国である葦原中国平定の際にご活躍された神様であるというから、まさにその位置づけは相応しい。そして、この二柱がここに祀られている所以は、前回に紹介した壬申の乱の際の御託宣である。壬申の乱のときには、三柱の神様が御託宣を下され、大海人皇子軍を導いたとされる。その三柱とは、ここ村屋の神と、高市社に居る事代主ことしろぬし命、身狭社の生霊いくみたまである。ここ、村屋神社だけが日本書紀ではお名前が明らかではない。だから、正確に言えばここにいらっしゃる神様のお名前はわからない…ということになる。社殿横の案内にもこちらの宮司の名で、この時にご託宣を下した「村屋の神」は、この神社の主祭神である女神「弥冨都比売」では戦闘にふさわしくはないとし、「経津主神・武甕槌神の方がふさわしく思うが資料がない」と書いてある。

ところで、上の絵付きの方の看板で「武甕槌」に「たけみつち」とふり仮名がついているのはどうしたことだろう。私の記憶ではこの神様の御名の読み方は「たけみつち」…当社のこの御社についての説明でも「たけみかつち」と読んでいるのだが…?単純に誤字と考えてよいのだろうか、これほど堂々と看板に示してあると、何か意図があるように思えて仕方なかった。神社の方にお聞きしてみたいとは思ったのだが、社務所の方が閉まっていた。見れば宮司さんのちょいと先にあるのだが、まさか玄関でピンポーン!てなわけにもいくまい。

そして神庭の西にささやかに祀られているのが、

右上に恵比須神社とあるが、その横には、

との看板がある。祀られているのが二柱である以上、どちらか一方の神名がそのお社の名では不自然であろう。「久須須美神社」の方が…今は正しいのだろうなと思う。

そして最後に…

こちらの神社のご先祖様を祀った物部神社。
とするとこちらの宮司はかの物部の裔…となると、守屋なる氏は…そうである。

ご想像のとおりである。

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コメント

  1. 玉村の源さん より:

     恥ずかしながら、この神社のことも、この女神様のことも知りませんでした。
     中ツ道方面には行ったこともなく。

     壬申紀は何度か読んだのですが、憶えていたのは、中ツ道で戦闘が行われたという戦局に関することのみで、託宣のことは記憶にありませんでした。

     しかし、いろいろな神様が祀られているのですねぇ。盛りだくさん。
     壬申の乱に関係のある神様と、そうでも無さそうな神様と。

     あれこれ興味深いです。

    • 三友亭主人 より:

      源さんへ

      私もテレビでの紹介を見るまでは近くにこんな神社があるなんて全然知りませんでした。

      >壬申紀は何度か読んだのですが、
      日本書紀でも壬申の乱の辺りは何度も読んでいるはずなんですが、神さまの託宣は高市県主許梅の託宣は記憶にあるのですが、この託宣は全く覚えいませんねえ。でも、これでまた日本書紀(天武紀の情だけですけど)を読み返す口実ができました。