石上神宮を出た私達は、その参道を出てちょいと南に下った神宮外苑公園へと向かう。そこでお弁当だというわけではない。目的物はこれ。
石上 振乃神杉 神備西 吾八更々 戀尓相尓家留
と刻んである。これでは何のことかさっぱりわからないので、となりの金属の案内板に目を向ける。
ここで、坂本先生が一行の中から、一人の異国の方をお呼びになった。そして、私たちに紹介してくださった。
その名は…ピーターマックミラン。
はて…この名はどこかで…?そうだ、これだ…
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英語がからっきしの私のことだから、「ふ~ん、わざわざ英語で味わうぶんだけ私にはわかりにくいな…」と眺めていただけだから、その書名ぐらいしか存じ上げていなかったが、実は来年度私の職場で使う教科書にも
と紹介されている方であった。我ながらこの不明を恥じいる次第である。氏のお仕事の一端にはこの次のようなサイトもあるので、ここで紹介しておく。
話を戻す。
坂本先生は死を全員に氏を紹介した後、これから外国の観光客をこのような歌碑などを見てもらおうと思うならば、全国いたるところに見られるこのような歌碑はいたって不親切である思わざるを負えない。歌碑は歌碑として尊重しながらも、外国からも来ていただこうとするならば、その方々にも「わかる」ような工夫がなされなければならないとし、その例として上の金属板の説明を紹介された。そして最後に、ピーターさんにお願いして、説明版の英語の部分を朗読していただいた。
…このような方とも今日はご一緒できるのか…と思いつつ次の目的地へ…
それは、良因寺跡。
現在は厳島神社の境内となっていて、今は薬師堂一宇のみが残る。周囲には「堂の前」・「堂の後」などの地名が残っている。その場所は、先ほどの道を北へ逆戻りし、石上神宮の前を抜ける。布留川にかかる橋を渡ってすぐだ。その境内の片隅に次のような歌碑がある。
いその神といふてらにまうてて、日のくれにけれは、夜あけてまかりかへらむととまりて、この寺に遍照はべりと人のつけ侍りけれは、ものいひ心見むとていひ侍りける
いはのうへに 旅ねをすれば いとさむし 苔の衣を 我にかさなん(小町)
返し
世をそむく 苔の衣は ただひとへ かさねばうとし いざふたりねん(遍照)
「苔の衣」は僧の衣のこと。遍照がどこまで本気だったかは知らないが、その生臭さがちょいと気に入っている。
ここでのレクチャーは皇学館大学の大島先生であった。
コメント
突然のビッグゲスト登場にびっくりしました。
参加者の皆さんも驚いたのではないでしようか。
確かに、外国人のために英語の解説を付けるのは良いですね。
英語の朗読ということで、ふと思い付いたのですが、字音仮名だけで書かれた万葉歌を中国の人に中国語で読み上げてもらいたいです。
現代中国語の発音でもなんかそれらしく聞こえるように思います。
源さんへ
はじめは・・・随分日本語が達者な方なんだなあ…という感じだったのですが、講師の先生方とも何やらあいさつを交わしていらっしゃって…はて、どの筋のお方かしらとは思っていたんですが…
最後の最後で、私もお話をする機会がありまして…そのあたりのことはまたその時に…
>字音仮名だけで書かれた万葉歌を中国の人に中国語で読み上げてもらいたいです。
なるほど、そうですね。実はかつて在籍していた学校で、中国からやってきた学生に教える機会があったのですが、同僚で中国語の達者な先生のお話ではその学生は非常にきれいな発音をしているということで、さっそく漢詩を読んでもらったのですが・・・その手がありましたね。