久しぶりの「いったことのあるところ」シリーズである。福島茨城と来て、前回の栃木を書いたのが2月の21日のこと。随分と間があいてしまった。しかも、今回その栃木の記事をちょいと読み返したら、
私が栃木に行ったのは、2度のみ。1回目は中学校での修学旅行。そして、2回目は仕事で若いお客さん達とのおつきあいである。どちらもかなり以前のことになるが、以下順を追って思い出せるだけ思い出してみたいと思う。
と書いてある。が、2回目の方…すなわち「若いお客さん達とのおつきあい」でのことを書くのはすっかり忘れていた。遅ればせながら、2回目について書かせていただく。
しかしながら、こんなに長い間忘れているぐらいだから、こちらの話についてはあんまり記憶がない。確か…朝、近鉄の大和八木駅を出発。名古屋で新幹線に乗り換える。結構大勢の若い人にお乗り換えいただくのは結構骨の折れる作業である。新幹線ににってしばらくすると通過するのが浜名湖。若い人たちの間から「海だ~広いなあ~」との声があちらこちらから聞こえる。確かに浜名湖はかつての「遠淡海」であるわけだから、「海」には違いないのだが…彼ら、彼女らの脳裏にある「海」はそんな海ではない。
しかしまあ、浜名湖がいくら広いと言っても、まさかそれを「海」と思い込んでしまうとはとお思いの方もいらっしゃるだろうが、盆地である奈良の県民は、万葉の昔からこんなものである。とはいっても、若い人たちをご案内している私の立場としては、その誤った知識をそのままにしておくことはできない。ここが浜名湖という湖であること、「海」ではないということをあちらで…こちらで…語って回った。
昼過ぎに東京に着く。ここからはバスでの移動である。目的地は会津であるが、この日の宿泊予定は那須。すなわちこの時は通過点として栃木を訪れただけであって主たる目的地ではなかった。だからこれがこの時の栃木への滞在の記憶の乏しさの原因かも知らない。
宿泊予定の宿は那須の高原にある。バスが高度を上げるにしたがって霧が濃くなってきた。途中、有名な「殺生石」の前にバスは止まる。
晴れていれば、写真のようにも見えたのだろうが、当日はひどい霧で、バスもノロノロ運転をしているありさま。「殺生石」と書いた看板は何とか見えたものの、奥の方は全く見えない。ガイドさんが熱心な案内をしてくださるのだが、殺傷石については、子供のころから読んでいた水木しげるやら誰やらの妖怪ものの本で知っていたのですでに承知済みのこと。それよりなによりやはり見えないことが残念であった。
お客さんたちは世代の違いもあってか、それほど「殺生石」には興味もないようで実に淡々とした反応であった。
さあて、この日は他にどこかに行ったのかまったく記憶がない。この次の記憶は宿についてからのものである。しかしながら、宿についた時もひどい霧で、おまけに日暮れ時を過ぎていたので、宿の全容は見えない。とにかく宿に入って食事を済ませ就寝。
翌朝は、前日とは打って変わって空はきれいに晴れわたり、那須岳の頂上まできれいに見渡せていた。
朝食を済ませた後、私たちはバスに乗り込み、ほんの2時間後には福島県に足を踏み入れていた。