玉列神社を出て私達が本日3番目の目的地である春日神社についたのはもうお昼も間近の頃である。
この神社は初めての場所ではなく、かつて一度訪れ、このブログでも皆さんに紹介ずみだ。だから、少々手抜きになってしまうが、この御社の詳細についてはそちらを参考にしていただきたい。
ただ、数年前、台風だったかなんだかの大雨のときに裏手の山が崩れ、その際に今後の安全のためか、境内や樹木の伐採が行われ、ブログの記事中の写真にあるような鬱蒼とした境内ではなく、開けた感じのする境内になっている。
さて、このときのお話は坂本先生。この近辺は脇本遺跡と呼ばれる雄略天皇の時代の遺跡があった場所である。となればそのお話は雄略天皇の、
籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に 菜摘ます児 家告らせ 名告らさね そらみつ 大和の国は 押しなべて 我こそ居れ 敷きなべて 我こそ居れ 我こそば 告らめ 家をも名をも
万葉集 雄略天皇(巻一/1)
のことが中心となる。先生はこの歌の持つ音律について、
籠もよ(3音) み籠持ち(4音) ふくしもよ(5音) みぶくし持ち(6音)
とせり上がるように歌い始められ、
この岡に(5音) 菜摘ます児(5音) 家告らせ(5音) 名告らさね(5音)
と安定したあと、「そらみつ(4音)」と急にその整然たる音律を乱すことによって、後半へと繋げてゆく構造に触れられた。さらに、当時における名を聞くことの意味、天皇たる作者がので見かけた娘に敬語で呼びかけていることの意味、あるいは歌中の対句について触れられたあと、後半部に置いて自分がこの国での支配者であることを宣言していることの意味について語られ、この歌が、
支配者としての天皇の歌であり、「そらみつ 大和の国は 押しなべて 我こそ居れ 敷きなべて 我こそ居れ」とこの国土の支配者であることを述べて、「我こそば 告らめ 家をも名をも」と名告りをするところに意味がある。生殖は豊年に繋がる。天皇の求婚は豊年の予祝の意が込められている。国土支配者としての天皇の歌を冒頭に掲げ、祝賀としたのである。
まんれきブログ – 日めくり万葉集ブログ-万葉からMANYOへ-第一回
(高岡万葉歴史館)
というようなお話をされ、この歌が「告る」歌であること、そしてこの歌に続く2番歌が、香久山に登っての国見の歌、「見る」歌であること、そして3番が遊猟の歌で、作者が遊猟の様子を聴覚によって…すなわち「聞く」事によって表現していること。加えて歌の並びが「求婚」、「国見」、「遊猟」と支配者にとって欠かすことのできない行為が歌われていることを指摘され、この配列が極めて意識的なものであり、万葉集という歌集の意味合いを雄弁に物語っていることについて話された。
そこに、「なるほど、なるほど…」と感心しきりの私がいることは必定である。
さて、この後お話は脇本遺跡について、そして泊瀬という地についてのお話が続くのだが、今日は少々話が長くなってきた。春日神社でのお話の紹介はまだ途中であるが、続きはこの次ということで今日はキーボードを置くことにする。
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