先週の火曜日と水曜日は、とある…集会のお手伝いをすることになり、いつもとは違う場所でのお仕事となった。いわゆる、「出張」である。
火曜日に行ったのはここ。
下つ道…?」って方のために、
下ツ道は、上ツ道・中ツ道と並んで古代大和盆地を南北に縦貫するようにつくられた幹線道路の一つです。そのつくられた時期は、明らかにはなっていませんが、「日本書紀」に「上・中・下ツ道」のそれぞれの名が記されています。また、奈良盆地全域に条里制がおかれた際にも縦の基準線となり、現代の行政界や大字界に大きく影響しました。
という奈良県のウォーキングポータルサイト「歩く・なら」の説明を紹介しておこう。「作られた時期は、明らかになっては」ないとあるが、概ね600年代の中頃とされている。この石碑があるのが国道169号線沿いの橿原市のとある施設。
そこがこの日の仕事場だ。
とはいえ、この日の私の業務内容は、その集会に参加なさる方たちへの場外誘導。お外での仕事である。
皆さんも御存知のように、この日あたりから我が国は今年の寒さの底。大和の地もご多分に漏れず、冷たい風に雪さえも交じるようなあんばい…寒さには強い方の私ではあったが、還暦を過ぎたあたりから寒さが身にこたえるようになってきた。
とはいえ…本当のことを言うと、この日は別の場所にもう一つ仕事が入っていて、私にとっての優先度はそちらの仕事のほうが上である。このことはあらかじめこの集会の運営の方には伝えてあったので、お昼ちょっと前には代わりの人がやってきて、私は午後の勤務場所へと移動した。
そして水曜日。昨日は全体会として2箇所のホールにおいて行われた集会ではあるが、この日はそれぞれの分科会に別れての開催。
この日の私の業務は奈良市内のフィールドワークの付き添いである。その日回った場所でいくつか紹介するとすれば…
北山十八間戸である。
鎌倉時代中期の律宗の僧、忍性が作ったと伝えられている病者救済のための福祉救済施設である。すぐ北には般若寺があり、南に東大寺大仏殿が見える。
非常に横に長い施設で、敷地の一番端に経っても上の写真のように、全体の3分の2ほどしか写真に収めることができなかった。
続いて、
15世紀の半ばも過ぎた頃、京都からわざわざ作庭家である善阿弥を招き、善阿弥とその子とで改修されたものです。善阿弥は義政に寵愛された作庭の名手で相国寺や花の御所の庭園を手掛けたというそしてその子達も銀閣寺などの作庭に関わっていたという。
それじゃあ、庭の向こうの小高いところにあるのがに見えるのは大乗院???なんて思えてしまうが、底にあるのは、奈良を代表するホテル、奈良ホテルであって大乗院ではない。
大乗院は1087年創建の興福寺の門跡寺院でした、例の焼き討ちのあと現在地に移った。江戸時代末まで続いたが、現在はもうない。この庭園自体も廃れ荒れ果てていたというが、ナショナルトラスト運動の一環で現在のように復元されたのだという。