吉隠と書いて「よなばり」と読む。奈良の県外にお住いの方は、万葉集にご興味のある方を除けば、なかなか読めない…いわゆる難読地名というやつである。構成としては、「吉(よ)」+「隠(なばり)」となるのだろうが「吉(よ)」の部分はともかくとして、「隠」がなぜ「なばり」となるのかは少々難しい。これは古語で「隠れる」との意を表していた「なばる」に由来するものである。
この地をなぜ「なばり」と読んだのかは私にはよくわからないが、角川の地名大辞典では、「吉き新墾新しく開墾された田畑」が訛ったものかなどとしている。
私は毎朝、三輪から職場のある宇陀へと車を走らせているが、その途中にあるのがこの「吉隠」である。三輪から宇陀に行くには朝倉を通り、泊瀬を抜けなければならないが、そのあたりから道は急峻な坂道となる。宇陀の地は300mほどの高度のある場所で、泊瀬のあたりとは200mほどの高度差があるのだから仕方ない。人はこの坂を「西峠」と呼んでいる。古事記や日本書紀では「墨坂」と呼ばれている由緒正しき坂道である。
その坂道の途中にあるのがこの「吉隠」である。
この頃のように寒い日が続きチラホラと雪がちらついたりするときに、この地を通り過ぎるたびに思い出すのがこの歌だ。
但馬皇女の薨じて後に穂積皇子、冬の日雪の降るに、御墓を遙かに望み、悲傷流涕して作らす御歌一首
降る雪は あはにな降りそ 吉隠の 猪養の岡の 寒からまくに
(二・203)
てなことを書いているうちに、「待てよ…」と思い当たったことがある。ひょっとして私はこの「吉隠」については、そして穂積皇子の歌についてはもう書いているのではないか…という思いが胸をよぎった。
「やっぱり」である。
本当に情けない限りである。この2つを書いたのはそんなに昔のことではない。まだ1年も経っていないのだ。それをすっかり忘れていた。
とはいえせっかく書いたものを取り下げてしまうのはもったいない。
ということで、今回調べたことを以前から続けている桜井市内の万葉集に歌われた地名を集めた、「萬葉の桜井」に活かしたいと思うこのサイト上部にあるボタン参照。
線の下のような形で新たにページを加えたいと思う。もし何かあればお教えを乞う次第である。
吉隠
雪に寄する(十二首のうちの一首)
吉隠の 野木に降り覆ふ 白雪の いちしろくしも 恋ひむ我かも
(十・2339)
黄葉を詠む(四十一首のうちの二首)
我がやどの 浅茅色付く 吉隠の 夏身の上に しぐれ降るらし
(十・2207)
我が門の 浅茅色付く 吉隠の 浪柴の野の 黄葉散るらし
(十・2190)
但馬皇女の薨じて後に穂積皇子、冬の日雪の降るに、御墓を遙かに望み、悲傷流涕して作らす御歌一首
降る雪は あはにな降りそ 吉隠の 猪養の岡の 寒からまくに
(二・203)
大伴坂上郎女、跡見の田庄にして作る歌(二首のうち一首)
吉隠の 猪養の山に 伏す鹿の つま呼ぶ声を 聞くがともしさ
(八・1561)
桜井市吉隠。 初瀬の峡谷の東に当たる。宇陀郡との境界に位置する。古くは宇陀の一部と意識されていた。
桜井市吉隠の地のある。但馬皇女の墓所のあった猪養の岡もここにあった。所在不明