例年は1月の早い時期に「今年の目標」と称して、今年はこの本を読もうかとか、あの本をページを繰るだけ繰って見ようかとかをみなさんにお知らせしてきた。将来のものぐさである私は、そんなふうに皆さんの前で公言しないと、いつまでも心に決めただけにとどまり、なかなか実行にうつれないし、かりに実際に読み始めたにしても途中で投げなしてしまうこと必定だからである。年のはじめに皆さんの前で公言してしまえば…引っ込みがつかなくなってしまう…。
そんな作戦がわりとうまくいっていて、これまでの自分だったら途中で投げ出しているだろうなと思われるようなことも、年の初めに公言したことは、なんとか最後までやり果せている。
けれども、今年はその目標を皆さんに宣言しないでいる。
ところで日本書紀は以前にも二度通読に挑戦したことがある。一度目は学生の頃であるが、二度めは2018年のことである。非常にずさんな読み方なので、読み返すたびに新たな感想がある。一冊の本でも何度も楽しめるので、まことに経済的な読み方である。
さて、今回の挑戦で気がついたことは次の2点。
1つ目は、「一書曰」がいくつも出てきて、読んでいるうちにどれが本筋のお話であったかが分からなくなってくる。史書として、それは誠実な態度なのであろうが、お話として気軽にそれを読みすすめていこうとするときにはちょいとしんどいものがある。とくに「神代紀」は、その傾向が顕著で、それは神代という誰も見たことのない時代を描いてあるもので以上仕方なことではあるにしても、それが冒頭に位置しているだけに、日本書紀の通読を志したときに、ここが大きな障壁になってくるように思う。
続いてもう一つ。継体天皇のあたりが非常にややこしい。まあ、国内の歴史に限っただけでも継体天皇のあたりは少々ややこしいように私には感じられるのだが、この時期は国内問題だけではなく、朝鮮半島との絡みも多く出てくるので、私の容量の小さい頭では処理しきれない部分がままある。私の高校の折には任那の日本府がどうのこうのとかいった話が教科書に載っていたように記憶するのだが、その後任那の日本府はなかったとか、いやいや前方後円墳が朝鮮半島でも派遣されたので、ヤマトの影響は朝鮮半島まで及んでいたことは確かだとか…あれこれ言われて、私の頭の中はこんがらがってしまっている。
…てなことを書いたのが、一週間前。ここまで書いたときはもうちょい手を入れてアップするつもりだったが、なぜかは知らぬが、そのまま一週間がたってしまった。あわてて、今日皆さんの前に提示する次第である。
ちなみに今は欽明天皇の時代まで読み進んでいる。朝鮮半島の問題はいまだに解決していない…と、ここで文章を終わらせようとしていたら、ふと先日は行ってきたニュースのことを思い出した。