神の山の虹…

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先日、2日ほど雨が続いた日の夕方である。宇陀の山から西峠を下り、大和の盆地に降りようとしていた時のこと…

それまで空一面を分厚く覆っていた雲の西の端のほうがうすくなり、次第に赤みを帯びてきた。長谷寺の前を過ぎ、朝倉のあたりに付いた頃には、もう日の目さえ見えていて西の空が赤く染まっている。赤信号で車を止めた時、ちらりと右手を見ると夕日に照らされた三輪山が赤く染まっているように見えた。これはちょいと一枚撮っておきたいなと思い、信号が変わったあと、車を止めて写真が取れる場所まで車を向かわせた。

もう少しで思っている場所にたどり着く少し手前である。

三輪山の山裾にきれいな虹が立っているのが見えた。これまた写真に収めなければならない。あまり広くはない道であったが、一箇所、少しだけ停車用に道が膨らんでいる場所がある。そこで一枚パチリとしたものだ。

本物はもっとくっきりとした見事な虹だったのだが、私のスマホのカメラ本当は私の腕ではこれが限界である…虹はきれいなは年を描いたものではなく、上の写真の上端のあたりで切れていた。まるでそれは天空にそそり立つ一本の柱のようであった。

そしてそこから、ほんの一走り…

先程、朝倉の交差点で見えた赤みはすでに失われていたが、十分にそのなごりが残っている。少し色の調整をしてみたが、それは無論、私が見たときのその印象に近づけるためである。本当はもっと赤く見えていたのであるが、これ以上赤くすると不自然な感じになったので、ここまでにとどめておいた。

結構色彩が豊かに見えるが、事実、三輪山はこの季節が最も多くの色に飾られる。ありとあらゆる種類の緑が、ギラギラとした夕日に照らされたのが上の写真である。

ところで、三輪山にかかった虹ということで思い出したのがこの写真。日付は2018年8月21日とある。

こちらは上の写真よりも山頂部に近いところから虹が立っている。

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コメント

  1. 玉村の源さん より:

     まさに、「虹が立つ」という感じですね。
     上野国東歌にも「立つ虹の」とうたった歌があります。万葉集中唯一の「虹」です。
     こんなにきれいなものをなぜ万葉人はうたわなかったのか不思議です。
     神々しすぎて、不吉なものと思ったのでしょうかね。

     虹は、こうして立っていると天へのはしごのようにも見えますし、寝ていれば橋のようにも見えますね。
     天浮橋も思い浮かびます。

    • sanpendo より:

      源さんへ

      >万葉人はうたわなかったのか

      そうですねえ、日本書紀や続日本紀にもいくつかありますが…おっしゃるようになにかの「兆し」なんでしょうね。だからこそ、正史にもわざわざ記されているんでしょうが、やはり不可解なものだったんでしょうねえ。

      >「虹が立つ」という感じですね。

      虹が「立つ」って表現があったかなあと思いつつ書いていたのですが…「立つ」という言葉でしか表現できない様子でした。
      …万葉集にもあったのですね。