4月に入り年度も変わって、大和の地は今まさに春爛漫である。私はといえばまたこの年度も宇陀の地で老体に鞭を打つことになった。
ところで、大和平野で日常を過ごしていれば冬の間スタッドレシタイヤなどは不要なのだが、宇陀の地に勤務ともなれば少々事情は異なってくる。年に数度ではあるがスタッドレスタイヤが活躍する日があるのだ。
特に今年はその活躍の機会は多く、勤務先が変わらないとなればスタッドレスタイヤはどうしても不可欠のアイテムになる。ところが、今の車のスタッドレスも5回の冬を超えてそろそろ役に立たなくなってきているのだ。先日タイヤ交換をしてもらいに行ったならば、自動車屋のお兄さんに「このタイヤじゃあ、来年の冬はスタッドレスの意味がないですよ。」とまで言われてしまった。
まあ、5年も持てば上等だとは思うのだが、かと言って次の冬はともかくとして、それ以降の冬にスタッドレスが必要になってくるか…たった一冬のために相応の出費をなさねばならぬのは、定年を過ぎてなお働く安月給の身にはちょいと苦しい。
てな具合に今から次の冬についてあれこれ思いを巡らせていても仕方がないので、今はこのうららかなる日々を謳歌するにしくはない。そしてこの季節我々をたのしませてくれるのは、ありきたりではあるがやはり桜の花である。
ということで、以下今年の春見てきた桜を順に紹介してみようと思う。
まずは布留川の桜。
3月21日に撮ったものである。たぶん、ヒガンザクラかと思う。仕事帰りに天理の街によった時に我が母校の前でパチリとしたものである。近くにこの町の桜の名所である石上神宮もあるのだが、そちらはソメイヨシノが主体でまだ殆ど咲いてはいなかった。
次は長谷寺のシダレザクラ。
3月の24日の撮影である。
「花の御寺」と言われるだけあって実に艶やかなシダレザクラである。この奥にももう少し大きなシダレがあり、それもまた見事なものなのだが通勤の途中にちらりと立ち寄って撮ったものなのでこれで我慢しておくことにする。あと、一週間もすればこの寺が「花の御寺」の面目を躍如する日がやってくるだろうと思われる所まで来ている。
けはひ坂とて。さがしき坂をすこしくだる。此坂路より。はつせの寺も里も。目のまへにちかく。あざあざと見わたされるけしき。えもいはず。大かたこゝ迄の道は。山ぶところにて。ことなる見るめもなかりしに。さしもいかめしき僧坊御堂のたちつらなりたるを。にはかに見つけたるは。あらぬ世界に来たらんこゝちす。
とは本居宣長の「菅笠日記」であるが、現代を生きる我々も、その季節にこの地を訪ねたならば「あらぬ世界に来たらんこゝち」になること必定である。
続いては宇陀、本郷の瀧桜。
これはこの前の月曜日であるから3月の27日の撮影。
この本郷瀧桜のまたの名は「又兵衛桜」。かの戦国武将、後藤又兵衛に因んでいる。定説では大阪夏の陣で戦士した又兵衛ではあるが、彼のような有名人にはいくつもの「その後」がある。この「又兵衛桜」にからめて説明すれば、後藤又兵衛は大阪夏の陣では戦士しておらず、そのごこの宇陀の地に隠れ暮らしたのだという。そして、その住居の地がこの見事な瀧桜の咲く場所なのだという。
事の真偽は神のみぞ知る…ではあるが、仮にそれが事実でないとしたならば、なぜそのような伝説が生じたのか…考えてみるのも一興であろう。
続いては我が職場の一角で撮ったもの。
撮影日は3月28日。梅と桜が同時に咲いている。ソメイヨシノがかくの如き状態になって来ている頃の梅が花を咲かせているというのは少々珍しい。ここの梅と桜はいつも一緒に咲いているのだ。
ひょっとして、あまりにも近くで花を咲かせているため、この梅は自分のことを桜だと思っているのではないのか?
そして最後に宇陀川の桜。
撮影は3月30日。職場から5分もかからない場所だ。
お昼ごはんを近くのショッピングセンターに買いに行き、そのついでにパチリとしたものだ。
今年の桜は例年よりも早く咲いた。そして例年よりも長く咲いている。とはいえ、平地の桜は昨日今日が散り始め、宇陀の桜もおそらくは明日頃から散り初めとなるだろう。
そしてまた年度初めの慌ただしい日が続く。
そしてその慌ただしさが少々落ち着いた頃、藤の花が美しい季節が来る。