前回は桜井市にある安倍文殊院の境内東端に鎮座する白山堂についてお話ししたあと、
白山堂のすぐ右手には小高い丘があり、そこで安倍晴明が天文観測をしたという伝えがこの寺には残っているそうである。その伝えに基づいて、この丘には清明が祀られている。
と、その小高い丘に登り、稀代の陰陽師安倍晴明を祀るお堂について少しばかり紹介させていただいた。清明堂は西に向かって開けたその丘の、そう広くはない頂上部の空き地の東端に西に向かって立っている。そこで…清明さんは下の写真のような景色を毎日眺めているのだ。
中央に見える九輪はこの文殊さんの浮見堂のもの。その九輪のすぐ右に見えるのが大和三山の一つ、耳成山。左手すぐにうっすらと見えるのは二上山これは少々拡大してみてもらわなければならないかもしれないだ。なかなかの絶景である。
そして、その空き地の一隅に下のような石塔が立っていることに気がついた。いや、気がついたという言い方は正しくない。前々からその存在は知っていたが、あまり気にも止めずにいたのだ。けれども、今日はちょいと気にかかる…実はこの日はこの塔を見るために安倍文殊院にやってきたのだ。
私が安倍文殊院を訪れたこの日とは、8月14日、お盆の中日である。今のところ、墓を持たぬ我が家族は無いわけではないがこのあたりの説明はややこしいので一応このように書いておく、それでもご先祖様はいるわけだから、お盆のあれこれはお決まり通りには行う。けれども墓を持たぬゆえ、墓地まで行ってお迎えをし…なんてことはせず、家でご先祖様をお迎えしている。だからその代わりにお盆のいずれかの日には、奈良の県内のどこかにお参りをして、彼岸の彼方に思いを馳せることを例年のならいとしている。
ご先祖様をお迎えした13日のことである。明日14日にでも、どこかのお寺にお参りしよう…さて、どこにしようか、なんて私は考えていた。お盆のことでもあるから、家族で集まってお茶でも飲みながら、ご先祖さんのお話をしていたとき、義母が安倍文殊院には「魚名さんの塔」というのがあるだとか、「魚名おじさんありがとう」という歌があるのだとか言い出した。
最初私は「魚名さんって誰のこと?」と思ったが、あれこれ考えているうちに「待てよ…そういえば、文殊さんの丘の上に『ウ」なんとかさんの石塔があったよな…」と思い当たることができた。「そうだ、ここはカタカナで考えなければ…」と思いがいたり、ちょいとスマホの画面をいじった。
「ウオーナー塔」
グーグル先生は私にそう教えてくれた。そして、私の行くべきお寺は決まった。実のありがたいご先祖様のお導きである。
「ウオーナー」については私のくだくだしい文で説明するよりは、石塔の傍らの説明板が簡略かつ明快である。
この石塔がどのような経過を経て、なぜこの場所に立っているのかが実にわかりやすくまとめられている。先の大戦の際に京都・奈良といった古都が爆撃を受けることなく、今に至ったのはなぜか、そしてこの石塔が誰の尽力によって建てられたのかがよく分かる。
石塔横の五輪塔の前の花立てに彫り込んである「ウオーナーおじさんありがとう」という一文はこの東洋芸術史家ウオーナーに対する感謝の気持を示したものだ。そして、私も、ウオーナーという名前はとにかく、アメリカの美術に関わる専門家の提言により、京都・奈良といった土地への爆撃が回避されたのだと教えられてきたし、そうと信じこんできた。
しかし…である…(続く)