暑い日が続いている。連日、35度近くの気温が続く中、還暦を過ぎた身で毎日仕事の勤しんでいる自分がいとおしく感じてしまう(笑)。以下は、そんな仕事の合間でのこと。
公共の交通網がそれほど便利とは言えない大和の地にあって、職務上の移動…即ち出張は自動車ですることが多い。そんな自動車の難点はみなさんもおわかりのように目的地への到着が、その日の道路事情で大きく狂うこともある点だ。職務上の約束にあって、決められた時間に遅れることなどあってはならない。だから、予め交通渋滞も見越し…やや余裕を持って自らの職場を出発することは常だ。
そしてその日も、いつもどおり15分の余裕を持って職場を出た。
ところが、その日に限って、交通渋滞が全く無かったことはもちろん、信号にさえほとんど引っかることなく、予定よりも30分以上も前に目的地についてしまった。約束の時間に遅れるのはもっての外だが、あまりにも早すぎるのも向こうにとっては迷惑なことである。
これが、季節の良い時分であるならば自動車の中で一休み…なんてことも可能なのだが、最初に述べたような気象条件の中、自動車の中にいたならば、エンジンをつけっぱなしにしてクーラーでも効かせなければ、約束の時間には熱中症を発症していることは必至である。かといって、30分も止めた自動車のエンジンをつけっぱなしにするなど、環境意識の高い私(?)にはとてもできない。さらには、ガソリンの代金がこれだけ高騰している今日のこと、自分の懐中の加減を考えても、そんな事はとてもできない。
そこで思い出したのがほんの少し前通り過ぎたばかりの神社の木立である。あそこならば、少しの時間涼しく木陰で過ごすことができる。
そう思って社前の駐車場に自動車を起き鳥居をくぐった。目の前には社務所があり、左を見ると…
20m程先にお社が見える。
賣太神社である。
祭神は主祭神とし稗田阿礼、そして他に天鈿女命と猿田彦神が祀られている。
稗田阿礼はご存知古事記の序文に、
時に舍人あり 姓は稗田 名は阿禮 年は二十八 人となり聰明にして 目に度れば口に誦み 耳に拂れば心に勒す。すなはち阿禮に勅語して 帝皇の日繼と先代の舊辭とを誦み習はしめたまひき。
記された、あの稗田阿礼である。「帝皇の日繼と先代の舊辭とを誦み習はし」たというのだから、よほどの記憶力の持ち主だと思われる。なんてたって、「目に度れば口に誦み 耳に拂れば心に勒す」ようなお方であるからこそなし得たことなのであろう。
続いて、天鈿女命。天照大神が岩戸隠れをしたときに、大神を岩戸から引き出すための方策として、八百万の神々の前で裸踊りをした…あの天鈿女命である。その物事に動じない気象を買われてか、天孫降臨の際には瓊瓊杵尊に随伴、先導し、一行の行く手を阻むように立っていた神猿田彦神に、「その胸乳をあらわにかきいでて、裳帯を臍の下におしたれて、あざわらひて向きて立。」ち向かい、その名を問いただし、その名を明かさせた女神である。なかなか気丈なお方らしい。福の神・芸能の始祖として知られている。
猿田彦神はこのとき高天原から天孫が降臨することを知り、道案内をするためにやってきた天鈿女命に答えたわけであるが、そのことから全国の白髭神社の祭神、道開きの神としても広く知られている。
天孫降臨の際のこの二柱の神が結ばれたとする話もあり、そのことがこの神社で2神が仲良く祀られている理由なのであろうが…さて、この二柱と稗田阿礼がどうして一緒に祀られているのか…、更には一人の舎人に過ぎない稗田阿礼いかに聡明な人物であったにせよが何故ここに主祭神として祀られているのか。
天鈿女命のこの天孫降臨の殊勲により、その裔は猿女君と称するようになったが、後にその一部が、宮廷の祭祀を司るため、この神社の存する稗田の地に居住するようになったという。稗田阿礼はこの猿女君の裔で、稗田阿礼の稗田はこの地名から来ている。おそらくは、猿女君稗田氏の裔が祖神である天鈿女命・猿田彦神の2神が祀る創建し、時代の下ったある時期に、古事記編纂の功労者である…おそらくは一族で、最も有名であった阿礼をその主祭神に祀り上げたのではなかろうか…というのが、私の至り得た考えであるが、むろん、きちんと下調べを入れたわけではない。