本当は、もっとこの初瀬川の岸辺でお話したいことがあるのだが、いつまでもここにいるわけにはいかない。思いつくことを思いつくままに書いていたら、今回の報告が終わる前に次の万葉ウオークの日がやってきてしまう。
てなことで、もう少しお話したいことがあるのだが、初瀬川にはここでおさらばをして金谷の集落へと向かう。
この金谷の地付近に、古代の位置である海柘榴市があったと推定されている。
海柘榴市は万葉集に、
紫は 灰さすものぞ 海石榴市の 八十のちまたに 会へる子や誰
万葉集巻十二/3101
と歌われているが、「八十のちまた」とはいくつもの道が交差する場所のこと。
ここでのお話は影山先生ただし影山先生のお話は先ほどの河川敷において。三輪山の西南の麓、初瀬谷の西側の入り口にあたるこの場所が海石榴市で、大和の盆地を南北に走る山辺の道や上ツ道、東西に走り浪速へと抜けてゆく横大路、明日香へと向かう磐余山田道、更には伊勢へと抜ける初瀬道の合流点になっている。すべての道は万葉のその次代の幹線道路である。加えて、泊瀬川の水上交通も利用でき、西日本、ひいては海外へと繋がっている。
そんな場所には自然に人や物が集まる。そして市ができる。そしてその市には呪術的な力を持つされた椿が植えられていた。
だから海石榴市椿市である。読み方は「つばいち」。万葉集のその次代には「つばきち」と呼ばれていた可能性が強い。
將三尼等至都波岐市長屋時(元興寺縁起)
人が集まればそこに出会いが生まれる。日本書紀武烈天皇即位前記十一年に影媛の悲話はあまりに有名である。
それは…武烈天皇がまだ皇太子だった時ころ、大臣平群真鳥が強大な勢力を誇っていた。真鳥は国政をほしいままにし、数々の無礼をはたらいていたという…
そんなある日、皇太子は物部麁鹿火の息女影媛を娶ろうとした。仲立ちをたて、皇太子は影媛にあたりをつけようとした。が、影媛はすでに真鳥の息子鮪と関係を為していた。
影媛が「海石榴市(現桜井市金屋付近)の巷でお待ちします」と返事をしたので、皇太子は海石榴市におもむく。市ではちょうど歌垣が行われており、皇太子は影媛の袖をとらえ、誘いかけるが、そこに鮪がやって来る。そして二人の間に割って入って来たので、皇太子は影媛の袖を離し、鮪と歌を応酬を行う。皇太子は鮪の歌により、鮪がすでに影媛と関係を持っていたことを知り、顔を赤くして怒る。
その夜、皇太子は大伴金村の家に行き、兵を集める相談をした。金村はその相談を受け、数千の兵を率い平群を急襲し、鮪を捕えて奈良山で処刑した。影媛は奈良山まで出向き、鮪の最後を見届ける。驚き混乱した影姫の目には涙があふれたという。
石上 布留を過ぎて 薦枕高橋過ぎ 物多に大宅過ぎ 春日春日を過ぎ 嬬籠る小佐保を過ぎ 玉笥には飯さへ盛り 玉椀に水さへ盛り 泣き沽ち行くも 影媛あはれ
本来はここに原文をお示ししたいところだが、ちょいと長すぎるので先生のお話と、私のおぼつかない記憶を元に上のようにこの悲話をまとめてみた。
続いては今度は垣見先生より次にゆく金屋の石仏についてのお話を聞いた。
金屋の石仏は以前三輪山の中腹に安置されていたらしいが、明治の初年に今の位置に移されたのだという。かの、神仏分離令の影響である。右が釈迦菩薩、左が弥勒菩薩だという。もともとは古墳の石棺の蓋だったものを利用したものなのだそうだ。制作時記事ついては諸説あり、はっきりはしないが平安初期から鎌倉期までのいずれの期間であっただろうとされている。
ちなみに、垣見先生はこの二体の石仏についてのお話を海石榴市の観音堂の前でなさっていた。海石榴市観音堂の境内はまことに狭く、この日の一行がまとまってお話を聞くには少々狭く、私はその敷地外でお話を聞く形になっていたので、実のところここでのお話を私はうまく聞き取ることができなかった。
したがって上に書いた内容は垣見先生のお話そのものではない。当日頂いた資料の記述を元に、境内の外で漏れ聞いたお話のみを参考にして書いた。だから、垣見先生のお話を正確に伝えるものではないことお断りしておく。
海石榴市観音堂から金屋の石仏までは徒歩で5分ぐらい。その風化がひどいため、現在、この2体の石仏はコンクリートでできた収蔵庫に収められている。したがって、釈迦如来と弥勒菩薩への参拝は金網越しになる。
ちなみに、この収蔵庫の下には大きな石が2つおいてある。何がしかの加工の跡があり、おそらくはどこぞの古墳の石棺かとは思われるが、詳細は定かではない。ミロク谷石棺と呼ばれるこの2つの巨石はいずれもどこから来たものかは明らかにはされていないが、そのうちの一つは珍しい阿蘇ピンク石製で、5世紀末頃のものと思われている。阿蘇産の石ということから、なんで、そんなとこの石が大和にあるんだろうなどと、当時のヤマト政権とと州の勢力との関係に思いをはせながら、収蔵庫の下を覗き込む。そして…周りの皆さん方も…
さあ、次は志貴御県坐神社である。