欽明天皇磯城島金刺宮跡伝承地をあとにした私達が2番目の目的地である玉列神社にたどり着いたのが11時20分頃。ここでのお話は影山先生。
上の写真左側に鳥居らしいものが見えるが、その奥が玉列神社で、右に見えるのは旧阿弥陀堂。かつてはこの神社の神宮寺だったのではないかと言われており、本尊の阿弥陀如来像は12世紀後半…平安末期の作とされている。
で…
これが玉列神社。祭神は玉列王子。大神神社の祭神大物主大神の末裔だとされている。延喜式927年の神名帳にも見えるこのあたり初瀬谷では最古の御社である。記録に明治10年1877大神神社の摂社となったとあるから、裏を返せばそれまでは独立の神社であったと考えられる。その位置から見て、雄略天皇の時代における三輪山祭祀の南遥拝所として創始したものではないかとも言われている。
背後の山には椿の大木が多く、また境内も椿の名所であったことから、玉椿大明神とも呼ばれてきた。また、この名は近くにある海石榴市から来ているとも、「玉」を「列」ねるという意味で「魂貫」が本来であろうとする考え、あるいはこの場所が「タマツナギ」の場所であったなど、いろいろ言われているらしい。
椿はその光沢ある葉が四季を問わず繁らせていることから、生命力の象徴たる植物として神聖視されていた。そんな椿が多く生えていた場所…そんな場所が神聖視され、信仰の場所となることは極めて自然なことだとは思われる。
三諸は 人の守る山 本辺は あしび花咲き 末辺は 椿花咲く うらぐはし山ぞ 泣く児守る山
三諸山(三輪山)は人がみだりに立ち入ることなく、大切に一木一草を守ってきている山である。この山の麓のほうには、馬酔木の花が咲き、山頂のほうには、椿の花が咲くのである。この山は、ほんとうに心の底から美しく感じられる山、泣く子の気持ちを静めるように、あれこれと気を使って、守り大切にしている山である。
作者不明 万葉集巻十三・3222
という歌が万葉集にはある。
かつて三輪山は聖なる樹木「椿」に覆われた生命力に溢れた山だったのではないか…そんな古代の景観が想像される…とは影山先生のお話。ふむふむと感心しながらお話を聞く私達。
さあて、次の目的地は昼食場所でもある。お腹をすかせた私達はその歩みを更に東へと進めた。
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