3月23日朝の10時少し前…桜井市の駅に何やら人溜まりができている。その数、60人を超えているであろうか…
先日来お伝えしている第9回万葉ウオーキングの参加者である。時刻表を見れば10時を少し過ぎたあたりに駅に到着する電車がある。その到着を待って開会の挨拶だ。挨拶はこの会を主催されている坂本先生。お優しい口調のお言葉でユーモアを交えながら本日の行程の概説をご説明くださり参加者の笑いを誘ったあと、早速出発だ。
歩くこと20分、最初の目的地である欽明天皇磯城島金刺宮跡伝承地に到着する。ここでのお話は大島先生。
欽明天皇については以前以下のように書いたことがある。
欽明天皇は継体天皇の皇子、母親は仁賢天皇の皇女手白香皇女である。父、継体天皇崩御の後、安閑天皇・宣化天皇についで皇位につく。が…である、ここが非常にややこしい話になっていて、継体天皇崩御から欽明天皇の即位までの数年間の諸記録が錯綜していて、何らかの政変があったのではないかとか、本当は安閑天皇・宣化天皇が即位することなく直接欽明天皇が即位したのではないのかとか、二つの政権が並立したのではないかと論議が喧しい。ともかく、一定の混乱がそこに¥あったことは容易に想像できる。そして、その混乱を収拾し即位したのが欽明天皇であった。そういった意味で欽明天皇は一つの時代を画期を呈した天皇であったのだろう。
https://www.sanpendo.com/2021/09/05/post-635/
そんな欽明天皇の宮がこのあたりにあったというのだ。
ここでのお話は大島先生。先生は、先程桜井駅でいただいた資料に載せられた日本歴史地名大辞典の、
…前略…『大和志』に「在金屋村西南初瀬川南」とあり、『大和志料』には『玉林抄』を引用し「三輪村大字金屋ノ東南山崎ノ「シキシマ」 ニ垣内ト称スル田地アリ、是其宮址ナルヘシ「シキシマ」ノ垣内ハ正二三輪山崎ノ 「カナサシ」ト字スル処ト初瀬川ヲ隔テゝ相隣レリ」と記している。延久二年(一〇七〇)の興福寺雑役免帳にみえる城上郡城嶋庄は路東二三条六里・八里に展開、その荘域は慈恩領の小字式嶋を中心とする一帯に及ぶことから、磯城嶋の地名は初瀬川と栗原川とに挟まれた地域に考えられ、したがって宮の位置もこの付近に求められるが、その場所は不明である。
との記事に基づき、欽明天皇の宮がこのあたりだと推定されていることを話され、さらに、これもまたいただいた資料に載せられた、
初瀬川と粟原川にはさまれたこの地域は、シキまたはシキシマなどとよばれ、この地で欽明天皇の宮が営まれたと言われています。シキシマのシマは宮廷領の一区域を示す意味を持つということから、シキシマは日本(大和)の国を指す言葉で、日本の国をシキシマと呼んでいたという説もあり興味をそそられます。
との桜井市観光協会のホームページの「シキ」、「シキシマ」なる地名の由来について触れたうえで、
磯城島の 大和の国は 言霊の 助くる国ぞ ま幸くありこそ
十三・3254
のような歌で、大和のごく一部を指す「シキシマ」という地名がなぜ「日本」という子に全体を指すことができるのかについて話してくださった。
お話の後少々の休憩をした後、次の目的地へ出発。
次の目的地は玉列神社である。 長く桜井の地に暮らし、ここ十数年は毎日通勤の際のその前を通っているというのに一度も訪れたことのない神社である。
楽しみである。
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コメント
初めまして。MWCの検索で辿り着きました。
過去のブログの数々に感服しております。
是非次回(11月15日(土))のMWC (明日香)にてお会い出来るのを楽しみにしております。
銀玉君さま
コメントありがとうございます。
秋のMWCには今のところ参加の予定ですので、
その時はよろしくお願いいたします。4