昨日の出張は時間にゆとりがあったので、途中にちょいと寄り道…車を止めて歩いてゆくと、あちらこちらから「コケコッコー」と賑やかな声が聞こえてくる。
「あっ、あそこか…」と、もうおわかりの方もいらっしゃる。まだわからない方のために、年のためにもう一枚。
石上神宮である。
私が前にここを訪ねたのは、
でもって、いよいよ出張の目的地。道が空いていたせいで早くつきすぎた。約束の時間までにまだ4、50分ある。てなことで、2箇所目の寄り道。出張先から車で」5分程の場所にある、
大安寺にお参りだ。
由緒正しき、わが国最古の官立のお寺である。境内の由緒書きに曰く…
遠く飛鳥時代、
聖徳太子が斑鳩宮の東南の地に建立された熊凝精舎がこの寺のはじ まりです。 以来、百済大寺、高市大寺、大官大寺と遷寺し、 我が国随一の国家の大寺として、和銅三年(710年) 平城遷都に伴い平城京左京六条・七条四坊の地に移建、 大安寺と称されました。 輝かしい歴史をもつ大寺として、 東大寺大仏開眼会の大導師を勤めた天竺 (インド) 僧・菩提僊那や、奈良仏教の指導的役割を担った唐の高僧・道璿、 あるいはヴェトナムの林邑楽を伝えた仏哲等々、 天平文化を担った国賓級の渡来人たちが、 大安寺の僧坊に止宿したと記録に残されています。 外賓のみならず、奈良朝七代目の光仁天皇も、 白壁王としての在野時代、この寺に住して酒歌に興じ( 当寺笹酒の由来) また当時の学僧・勤操に学んだ空海が、 のちに真言密教を開いたことはあまりにも有名です。
官立の寺院であったこの寺は、かつてそれにふさわしい壮大な伽藍を有していたが、それもいまは昔である。しかしながら、この寺の南方200mに残るかつての東塔、西塔の基壇を見ればこの寺のかつての姿は容易に想像できるなんでも、塔は東西いいずれも70mを越えるものであったらしい。
私はこの古寺に何度も訪れてはいるが、今回のお参りはかなり久しぶりのことであった。
初めてお参りした時にはたぶんいらっしゃらなかったと思うのだが、何回か前のお参りの時から急にこの方のお姿をお見かけすることが多くなってきた。
調べてみると、この達磨さんたちはこの寺で販売している「だるまみくじ」の入れ物で会って、おみくじを取り出した後、こうやって境内のどこかしこにおいてゆくのだそうな。
してみれば、上に…以前はお見かけしなかった…と書いているが、それは何かの記憶違いだったのかもしれない。
いずれにせよ達磨さんたちはこの寺において増殖中である。
三友亭雑記をもっと見る
購読すると最新の投稿がメールで送信されます。