先日、「吉隠」と題した一文を書いた。
以降、その公開に向けて少しずつ手を加えて来たものが、やっとできたので、ここに公開することとした。むろん、私のやることであるから少なからぬ瑕疵があることは言うまでもない。したがって今後も気がついたことがあれば、あるいはお読みになられた方からのご指摘があれば、何度も手を入れてゆくつもりである。上のボタン「萬葉の『桜井』」をぜひともポチッとしていただきたい。それが面倒な人は下のブログカードをポチッとしていただけば当該のページにたどり着ける。
それはそれとして…この「萬葉の『桜井』」にはまだ書かねばならない地名が残っている。
忍坂 倉橋 泊瀬 巻向 三輪
いずれも万葉集を語るには欠かすことのできない重要な地名である。そして、重要であるがゆえ、なかなか手を付けられないでいるのが現状である。
まずは、扱わなければならない歌が多い。口語訳はどこからかお借りしてくることが多いのだが、その口語訳が、自分としてこれで行こうと判断するためにはある程度の調べ入れなければならない。やはり、語句についての正確な情報はできる限り集めたいとは思う。
くわえて、上の五つの地名は…特に後の三つは万葉集を語るうえで重要な地名であるがゆえに、色んな人がいろんなことを言っていて、それをいちいち検討するためには結構手間がかかりそうである。さらには、対象が大きすぎてどこから説明を始めて行けばいいのか検討もつかない。
てなことで、この五つの地名について書くことに躊躇しているのが現状なのだ。
ところが、前回も紹介したように今度の「万葉ウオーキング」はこのうちの忍坂、倉橋、泊瀬を歩く。
その工程とは、
桜井駅北→欽明天皇磯城島金刺宮跡→玉列神社・慈恩寺→春日神社・脇本遺跡(雄略天皇泊瀬朝倉宮推定地)昼食→白山比咩神社→雄略天皇泊瀬朝倉宮伝承地→大和朝倉駅(トイレ休憩)→忍坂山口坐神社→忍坂坐生根神社→舒明天皇押坂内陵・鏡女王忍阪墓・大伴皇女押坂内陵→大和朝倉駅
赤字の部分は泊瀬、青字の部分は忍坂である。倉橋は「倉橋(の)山」、「倉橋川」の形で詠まれていて、どちらも忍坂から見える山川である。倉橋川の方はひょっとしたら近くまでゆかない可能性があるが、倉橋山は忍坂にいる限りどこからでも見えている山である。
ということは、この催しに参加さえすれば結構な情報が手に入ることは確かである。
これはまたとないチャンスである。
とはいえ、時は今、年度末。定年を過ぎた身であるとはいえ、いまだ宮仕えのみである身の私には休日ではあっても、あれこれとしなければならないことが生じてくることが多い。
ぜひとも参加したい…とは思っているけれども、何があるかはわからないのは私の仕事におけるこの時期の常である。
なにもないことを願うのみである。