車を走らせていると「???」と思うような字面の地名表示に出会うことがしばしばある。その下にローマ字で読み方を表示してあることも多いので、それを読んで「へえ〜、そんなふうに読むんだ。」と感心したり、「なんでこんなふうに読めるんだろう?」と考え込んだり…
そんな経験を少なからぬみなさんは経験されていると思う。次にお示しするのは、いくつもある、そんな中のひとつである。
それは、今は大和の山間地で働いている私が大和盆地の中央部で働いていた頃のことだったと思う。職場にたどり着く手前で私は田原本という街を通り過ぎる。そこでいつも見かけていたのが「十六面」という地名の表示である。私はなんの疑問もなくこれを「じゅうろくめん」と読んで、疑うことなく過ごしていた。
ある日の朝、そこを通りかかるといつもの標識が新しいものにかけかえてあった。そしてその「十六面」という漢字の下にあったのが「JUROKUSEN]というローマ字。
ジュウロクセン???なんで「面」が「セン」と読めるんだ?
その時の私の思いである。
「面」という漢字を追いかけてあれこれ調べてみたがわからない。「面」を「つら」と読んだときの意味から来る可能性も考えてみたが思いつかない。このあたり、知っている方がいらっしゃったらぜひ教えていただきたいところである。
ところで…その読み方も「???」ではあるが、「十六面」という字面も結構興味深い。
昔、西竹田に猿楽師が住んでいました。姓を金春といいました。ある日天から十六という面が落ちて来ました一説には十六枚の面ともいわれています 。そこで面の落ちた所を十六面というようになったそうです。十六という面は、若い美しい公達をあらわし、平敦盛(1169~1184)が十六歳で戦死したことから名付けられています。この十六という面をつけると気が狂ったようになるので、金春の息子は能楽師として家を継ぐことをあきらめて、この面を御神体として祀ったのが十六面の一杵島神社だといわれています。面づくりは大綱と富本に住んでいたそうです。十六面はもと富本と一つであったのが、寛永(1624~1643)のころに分立したと伝えられ、それで富本の伏せ字から十六面をトムオモテと呼ぶようになったとも言われています。また西竹田には、今も金春屋敷といわれるところがあります。(『平野村史』から)
とは「広報たわらもと1989年2月号」掲載の「田原本に伝わる昔話」である。田原本や隣の川西町は能楽発祥の地として知られているがこれもそれにまつわる昔話である。
ただ、角川の日本地名大辞典では、「この地は条里制の西16条にあたり、条里制地名と見るべきであろう。」としている。私としては…まあ、こちらのほうが蓋然性が高いように思える。