石上神宮 特別参拝

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9月21日、昼食を済ませた私は隣町である天理市に向かった。12時30分頃だったかと思う。目的地は石上神宮。普段は出張のときなんかに近くを通りかかったとき、気が向けば手を合わせに立ち寄っているお社である。

しかしながら、昨日は違っていた。

石上神宮神剣フツノミタマ顕現一五〇年記念

御本殿と禁足地  特別参拝

である。

上の写真はこの特別参拝のパンフレットの表紙である。このパンフレットの説明を参考に少々、蛇足ながらのお話を…

石上神宮は崇神天皇の御代に創始された最古級の神社であることはご承知のとおり。大和政権において軍事を司った物部氏の総氏神である。布都御魂ふつのみたま布留御魂ふるのみたま布都斯魂ふつしみたまの三神を主祭神とする。これらの神々は第10代崇神天皇の御代に石上布留の高庭に祀られたのだという。そして、これらの神々が鎮まられているのが拝殿の奥に、剣状の石の垣…瑞垣…に囲まれた禁足地である。石上神宮には、もともと本殿はがなく、この主祭神が埋斎された禁足地を御本地と称し、その手前の拝殿があるのみであった。

明治7年、大宮司であった菅政友により禁足地が発掘され、御神体の出御を仰ぎ、主祭神のうちの一柱、布都御魂がその御姿を現した…てなふうにかくと、そのお姿は如何に…なんて思われてしまうといけないので、このお社の主祭神について少々ご説明しておくと…

布都御魂大神

当神宮の主祭神で、国土平定に偉功をたてられた神剣「韴霊ふつのみたま」に宿られる御霊威を称えて布都御魂大神と申し上げます。

布留御魂大神

天璽十種瑞宝あまつしるしとくさのみづのたからに宿られる御霊威を称えて布留御魂大神と申し上げます。

布都斯魂大神

素戔嗚尊すさのおのみことが出雲国で八岐大蛇を退治されるのに用いられた天十握剣あめのとつかのつるぎに宿られる御霊威を称えて布都斯魂大神と申し上げます

以上は石上神宮の御祭神についての記述を引用したものである一部手を加えてある。これによれば、この三柱の神々のお姿は剣であり、瑞宝であるということになるので、このとき発見されたのは布都御魂とされる一振りの剣ということになる。「顕現一五〇年記念」というのはその時から数えて150年ということである。

それまで、石上神宮には御神体を祀る本殿は存在してはいなかったが、御神体が発見された以上、本殿が必要になってきた。そして、この禁足地内に新たに築かれたのが今ある本殿である。ちなみに、この御神体布都御魂は、大和の刀匠月山貞一により複製されたものと合わせて本殿に収められている。

禁足地は拝殿の奥に位置し、日頃は近寄ることはかなわない。拝殿横の隙間からわずかにその周囲を囲む瑞垣を見ることができるだけである。それが、この9月21日から23日までの3日間はそのそばまでゆくことができ、わずかながらでも禁足地を我が視界にいれることができるというのである。これはいかないわけには行かない。

ということで上述のように私はこの日の昼過ぎに石上神宮に向かった。

石上神宮についたのは13時ちょっと過ぎ。日頃は使われていない第2駐車場まで満杯で、その近くに位置する臨時の駐車場に私は車を止めた。いつもなら閑散とした境内は人で溢れ、受付にも人はみちていた。一定の人数がまとまってから入って行けるようにしているらしく、受付の向こうに設置されたテントの下はすでに満員で、テントの横まではみ出した座席ものころわずかというところであった。

私がその残り僅かな席につこうとしたとき、順番が回ってきた。祓所でお祓いを受けた後、一同は拝殿の横に案内された。入場券代わりの先ほどのパンフレットの裏側に受付の印を押してもらい、先のグループが過ぎるのを待った。

待つことしばし。いよいよ私達の番である。

私達は厳かな雰囲気の漂う禁足地にほど近い場所の西側に案内された。ちょうど上のパンフレットの表紙の場所である。表紙では閉ざされている木の扉は開かれており、禁足地の中を覗き見ることができた。布都御魂が発見されたという場所に立つ標石がちらりと見える。そして本殿…

ボランティアの方のお話をしばし聞いたあと、禁足地の北側にまわる。ここまでくると禁足地の最も奥にある本殿は間近にある。ここで手を合わせないわけにはいかない。いつもの通り、世界平和の祈願である。そしてせっかくだから家内安全もしっかりとお願いしておいた。

禁足地周辺に滞在したのはほんの15分ほどであろうか。しかしながらまことに充実した稀有な経験をすることができた。

今度はいつもの拝殿の側にまわり、今度はその拝殿の側から、この貴重なけんけんをさせていただいたことへのお礼を申し述べて私は石上神宮を跡にした。

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