8月8日に思うこと(遅ればせながらのブログ記念日)。

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すみません。今回の記事は本来8月8日に公開の予定で、その日に書いたものなのですが、後悔する作業を忘れていて、下書きのままであったものを先程気がついて、今慌てて公開したところのものです。冒頭には玉村の源さんのブログ開設日をお祝いのために書いた一文もあるのですが、私の粗忽な脳みそのためにお祝いのタイミングがずれてしまいました。

申し訳ありませんでした。

ということで…


本日8月8日は、ネットの世界で長い事お付き合いいただいている玉村の源さんのブログ「まほろば」の開設記念日である。2013年のこの日の開設以来一日もかけることなく更新を続けていらっしゃる、源さんのその日々のご精進には敬服すること頻りである。

それに引き換え我がブログといったら…

ある時期から私の頼りない脳みその老化を少しでも遅らせることが目的となったこのブログ
では、その目的をはたさんがためにせめて週に一度、週末の更新は欠かさないようにしよう
と心に決めているのだが、最近はそれすらもままならぬようになってきた。

今回もまた気がつけば2つの週末が無為に過ごされ、二日ほど前、慌てて書いた文章があったことすら忘れてしまうほどの体たらくである。文章を書くことにより脳の老化を防止しようと運営しているブログであるのに、その更新することを忘れてしまい、果ては書いたことすら忘れてしまっている…この先かなり心配な状況である。

だいたいにして、今回源さんのブログが今日開設の記念日を迎えるということを思い出したのも、この日が私がこの世に生を発したその日であることなんとか思い出したからであった。私の誕生日と源さんのブログん誕生日が同日でなければ、長くお付き合いを頂いている源さんのブログの誕生日も忘れてしまっていたことであろう。

なんてことを書いているうちに、自分のブログの誕生日のことを思い出した。その日は7月24日。 私がこの2週間、ブログの更新を忘れているうちに過ぎてしまった。

私がブログなるものに手を染めて今年で16年目になるのだが、15年目に当たった昨年は、その開設当時のことについては昨年は結構詳しく思い出してみた。

毎年、この日になるとおんなじ表題で書いている今振り返ると抜けている年もあるが。ああ、またか…とお思いの方もお付き合い願えたら幸いである。 ...
そこにも書いたようにう、ブログを始めた当初はいくつものブログサービスをふらつき歩き、いつの頃からか今使っているwordpressのサービスに落ち着いた。その間の引っ越しの過程で、wordpress以前のサービスに書いたものは失われてしまっている。まあ、失われてしまって惜しいようなものは書いていないという自信があるゆえ、そのことについては特に残念であるなどという思いはない。時々更新することを忘れたりはしながらでもよくもまあこんなに書いたものだなあと、少々自分を褒めてやりたい気分が半分ぐらいはある。さて、この16年の間にこの国はずいぶんと…この国だけではない。世界はずいぶんと良くない方向に進んできたように思う。今回は更新を忘れた7月24日のブログ記念日の記事であるが、毎年のように書きつけている俳句が一句ある。渡辺白泉の1939年の作である、

戦争が廊下の奥に立つてゐた

という句である。

日中戦争のさなかとはいえ、国民の多くにとって戦禍がまだ対岸の火事だった頃、いち早くそのにおいをかぎとっていた。

毎日新聞余録2022年12月28日

そして白泉の予言通り、その2年後にこの国は太平洋戦争へと突入した。

さて、この一句が私のブログに初めて登場したのは二〇一二年の新年のご挨拶のこと。その頃は、まだ私はこの国が戦争に巻き込まれることなんて自分が生きている内にはあり得ないことだと思っていた。だから、あくまでも自戒の意味としてこの句を皆さんにご紹介をしただけである。

さて、2012年の正月と言えば…その前年暮の選挙により政権が現政権政党に戻ったばかりの頃であった。それから4年たって2016年7月再びこの句は私のブログに登場した。

振り返ってみればそんなには長くは感じない歳月ではあったが、時代は激変しこの国にはかなりきな臭い雰囲気が漂い始めている。しかもその雰囲気がきな臭いと感じない方々も増えているように見受けられる(こっちの方が問題だよね)。私のような考えの持ち主がこうやって思いを公にすることに、ひょっとしたら圧力がかかってくるような時代がそこまで来ているのかも知れない。 そんな心配が杞憂に終わってくれることを願っている。(2015年)

今、周囲を見渡した時、杞憂が杞憂で済まなくなってきている・・・そんな気がしてならないのは、私だけであろうか・・・。この国の空気は確かに変わってきている。見方によれば、それは一部の権力者によって変えられているとも言えなくはないが、その一部の者に力を与えているのは、この国の空気そのものであることは否めない。「戦争が廊下の奥に立つてゐた」(渡辺白泉)なんて句が、現実味を以て感じられるようになってきた。(2016年)

たった4年の間の変化であった。そしてそれから8年がたった。その8年間の間に世界では何があったのか…皆さんがご存じの通りである。8年前に私が感じた「現実味」はますます色濃く漂い始めている。

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コメント

  1. 玉村の源さん より:

     三友亭主人さんのブログで、私のブログ開設記念日のお祝いのお言葉を戴き、ありがとうございます。恐縮です。
     今後ともどうぞよろしくお願い致します。

     1945年以来、世界中で戦争や紛争のない年はなかったことでしょう。
     帝国主義の時代は終わったはずなのに、まだ20世紀と同様の考え方をしているかのような国もあれば、宗教が争いの元になっているケースもあり、国内の経済格差が争いの元になっていたりと、争いの種は尽きることがありませんね。
     世界が平和になれば、軍事予算も激減し、その分を福祉や教育に回せるのにと思います。
     国連はほとんど機能していないし、何とかならないものかと思います。

    • sanpendo より:

      >その分を福祉や教育に回せるのにと思います。

      本当にそうだと思います。あれだけのお金を他者を威嚇し、その尊厳を奪うためだけに使われることは本当のもったいないと思います。また甘い考えなのかしれませんが、福祉や教育を充実させることが戦争を防ぐためには最も効果的なことなのになあと思います。

      自己責任という言葉が幅を利かせるようになってきたのがここ10数年のことのように思うのですが、損ことが福祉や教育の普及を抑制し、そこに生じる格差が世の諍いの種となっていることを考えるとますますその思いを強くします。