畝尾都多本神社でちゃあ〜んと「神酒」が「据ゑ」てあることを確認したあと、私達は奈良文化財研究所藤原宮跡資料室のところから真っすぐ伸びる細い道を西に向かう。
そして写真の中央からやや左下の「P」駐車場だよねと書いているあたりから北に向かい、たどり着いたのが、上の航空写真でいうと緑の文字で「藤原京跡遺跡」と書いている、「跡」の字と、「遺」の時のあいだくらいの場所。そこで一同は南の方角を見る。
以前、
そしてこの場所からほんの僅かに北にゆくと、ここにもかつての柱跡に、朱い円柱状のモニュメントが並んでいる。大極殿門跡である。ということは…
柱跡の向こうに見えるこんもりとした茂みが大極殿ということになる。まさか、
これほどの規模ではなかろうが、これに類する建物がこの場所にあったことになる。
そしてこの場所から東…やや南寄りを見ると…
天の香具山である。M田先生のお話によれば、この山の麓に高市皇子の邸宅があったのだそうな。出勤場所がほど近い…当時のお役人としては一等地にその邸宅があるのは高市皇子の太政大臣という政治的な立場を物語るものなのだという。
ちなみに…としてM田先生が続けて言うには、平城宮にあって大極殿から見て同じような位置にその邸宅を有していたのは長屋王であった。 長屋王は高市王子の長男で、やはりその職は太政大臣。宜なるかなである。
そして私達はほんの少し移動してさっきのこんもりとした茂みに移動する。
大極殿跡である。
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