三輪山セミナーに行った「三輪山と春の万葉植物の歌」

シェアする

先日紹介していたように先週の週末、1月27日は大神神社の三輪山セミナーの日。本日のお話は奈良女子大学名誉教授の坂本信幸先生、お話の題は「三輪山と春の万葉植物の歌」。

我が家から歩いて2分もかからぬ三輪山会館についたのは1時30分を少し過ぎた頃。受付の前は結構賑わっていた。早速受付を済ませ会場へと入る。会場は三輪山会館内の能楽堂。木の香りが清々しい清浄な場である。

時間が来て、いよいよ開会である。まずは先年就任したばかりの大神神社の宮司さんのご挨拶。その挨拶の中でこの三輪山セミナーが去年記念すべき300回目を迎えたことについて触れられていた。これは前の記事で紹介した玉村の源さんの書いたものでも知ることができるのだが、その間の参加者が9万4千人を越えることを宮司さんのお話で知ることができた。

源さんの書いた記事にコメントさせて頂いて

会場はいつもいっぱいで、安定して200〜300の人数(ざっとした印象ですけど)を集めています。

なんて書いていたのだが、この内の「200〜300の人数」というのは、私が参加したことがある回で会場をざっと見たところの印象から出てきた数字であって、いい加減なものだったのだが、この当てずっぽの数字が意外と正確だったことが、宮司さんのお話から証明できた。

挨拶が終わりいよいよ坂本先生のお話。

前もって配られていた資料を見る。

1ページ目には「万葉集に見える『三輪』『三輪山』」との見出しのもとに、

巻一の17番〜19番
巻二の156番〜158番
巻四の712番
巻七の1095番、1118番、1119番、1403番
巻八の1517番
巻九の1683番、1684番
巻十の2222番
巻十二の3014番

が並び、そのすぐ後に「三輪山を指して『御諸(三室)』『御諸山』といった歌」との見出しのもとに、

巻七の1093番、1094番、1240番、1377番
巻九の1770番
巻十一の2473番、2512番
巻十二の1981番
巻十三の3222番

といったところが並んでいるもちろん実際には番号だけではなく歌の方も載せられている

ふむふむ、そんでもって次のページはどうかなとめくる寸前に「???」となった。上の20首の中で一番最後の3222番だけが万葉集における原文が示されている。

三諸者 人之守山 本邊者 馬酔木花開 末邊方 椿花開 浦妙 山曽 泣兒守山

三諸みもろは 人のる山 本辺もとへには あしび花咲き 末辺すゑへには 椿花咲く うらぐはし 山そ 泣く子る山

なんでまたこの歌だけ…と思いつつページをめくる。更に…「???」となる。2ページ目にあったのは、「三二二二歌の『三諸』は三輪山を指すのか?」という見出し。江戸時代、万葉集童蒙抄に始まる諸注釈書の学説が並ぶ。そこには「三諸」を明日香の雷山だとか、神奈備山だとする説が並び、見出しのようにこれを三輪山だと唱えているのは、江戸時代の注釈書である「万葉集童蒙抄」だけである他にもあるのかもしれないが、示されていたのはこれだけであった

そして、諸注釈の列挙のあとに丸印が2つ並んでいてそこに書いてあったのは…

◯三諸が明日香を指す場合は、「神奈備山」とともに歌われている。

◯『古事記』『日本書紀』に見える地名としての「椿」(「海石榴」)は、ほとんどが桜井市であ る。

私のようなものが足を運ぶ一般向けの講演会ではあまりお目にかかることのないような中身である。ちょいと学生自分の万葉輪講でのレジメを思い出した。もちろんそのレベルの高さは、比べる必要のないほど違う。今回の講演会の題は、「三輪山と春の万葉植物の歌」。三輪山や万葉集に詠まれた梅や桜についてのウンチクをおあれこれ聞かせていただくものと思っていたのだが、これはちょいと様子が違うぞと思っていたら、いよいよ先生の登場である。

1ページ目、最初に示された巻一の額田王の3首、巻二の高市皇子の3首あたりをゆるゆると解説し始める。19番の「綜麻かた」の歌についての佐竹昭広先生の学説を紹介していただいた。以前も例の萬葉学会の一日旅行だったかでお聞きして履いたが、あらたためてなるほどなあ・・・なんて思っていると、話が件の3222番まで進んだ。

先生は、通常、このような講演会では、できるだけ多くの万葉歌を紹介し、みなさんに万葉集の世界に浸っていただこうとするのが普通なんですが…とおっしゃったうえで、今回はちょいと趣向を変えて通説・定説に挑戦するようなことをしてみたいとおっしゃった。

やっと、上で「???」となった今回の資料のあり方が了解できた。

先生は上で示した◯印の件についてお話くださったうえで、仮に3222番の三諸が明日香だとした場合、そこで推定されている雷丘、甘樫丘では、「本辺もとへには あしび花咲き 末辺すゑへには 椿花咲く」と詠むほどの植生の相違が生じるのかと行った疑問などをお話されていた。

更に話は、「泣く子守る山」の解釈は?」の見出しへと進む。

ここでも諸注釈の述べるところが資料には並べられている。その多くは、「泣く子」を「守る」の序として考えるものであるが、その中に土橋寛先生の「古代歌謡の儀礼と研究」の「『人』や『泣く児』が見るのは三室山の花であり…中略…人も泣く児もタマフリする山」との解釈を紹介されたうえで、話は「守る」の語義の詳細な検討に及ぶ。

坂本先生のお話は上に私がお伝えしたような内容のみで終わったわけでは、無論あるわけはない。いちいちの項目に対して、微に入り細に入り丁寧に…しかも私のようなものにもわかりやすく進められた。90分という時間がほんの30分ほどに感じるようなスリルに富んだお話であった。しかもそれは訓古注釈という万葉歌理解の本道をゆくものであって、学問というものの楽しみを私達に教えてくださるものであった。

本当にかけがえのない時間を過ごすことができた週末であった。

ちなみに来月の三輪山セミナーは、

古代天皇の実年代―ヤマト王権はいつ生まれたのか―

皇學館大学研究開発推進センター教授 荊木美行 先生

というもの。2月24日の土曜日である。これまた楽しみなお話である。

シェアする

フォローする

コメント

  1. 玉村の源さん より:

     コメントが遅くなりました。

     坂本先生のお話、おもしろそうですね。
     『大美和』に掲載されるのを待つことにします。
     早ければ、今年の夏の号にでも。

     荊木先生のお話もおもしろそうです。
     歴代天皇の実年代をどの様にお考えなのか、興味津々です。

    • sanpendo より:

      源さんへ

      お返事遅れて申し訳ありませんでした。
      ちょいとバタバタしてました。

      >…興味津々です。
      本当に興味津々です。
      今のところ日程的には差し障ることはありませんので、次回も参加できるものと思っています。
      それにしても、能舞台での講演会…なかなかいいものです。新しいせいか木の香りもすがすがしくって、いつもはどんよりしている私の頭のほうもはっきりして、お話をしっかり聞くことができました。