今週は私が以前から一度は行きたいと願っていた、職場の地元の名所の2箇所にゆくことができた。今の職場に転勤してきて、今年で7年目。結構な歳月が流れているし、2箇所とも職場から歩いて十数分の場所なのだから、今までに行っていてもおかしくはない場所である。
だからこそ、いつものことではあるが、いつでも行けるだろうとの思いが帰って足を遠ざけさせていたのである。
その1つ目が、ここ。
どうやら先客がいるようである。並んでいる靴を見ると少々お若い人々の集団であるらしい。
ところで、この油屋は伊勢本街道とあお越え道(泊瀬道)との分岐する辻に位置している。
伊勢本街道はこの道標の前を南北に貫き、400mほど行ったところで宇陀川を越え、東へと向かう。そしてその後、室生、曽爾を抜け、
お伊勢参りして こわいとこどこか 飼坂・櫃坂・鞍取坂 津留の渡しか宮川か
伊勢音頭
と謡われた本街道の難所の一つ鞍取峠を越えて御杖へと入る。その後、津市の美杉あたりでは飼坂を越え、その越えた先の上多気についたかと思うとすぐに櫃坂を越えて松阪へと入る。峠続きの結構ハードな道である。そして、やっとこさ峠続きの道が終わったかと思うと櫛田川と宮川も越えなければならない。
もちろん、大神宮とはお伊勢さんのこと。お伊勢参りの人々の道標のため、この灯籠には常時火が灯されていたということもガイドさんから聞くことができた。
ところで、私がこの「あぶらや」に行きたいと思っていたのは理由がある。
けふはかならず長谷迄物すべかりけるを 雨ふり道あしくなどして足もいたくつかれにたれば さもえゆかではいばらといふ所にとまりぬ。此里の名萩原と書るを見れば 何とかやなつかしくて秋ならましかばかりねのたもとにも
うつしてもゆかまし物を咲花のをりたがへたる萩はらの里
とぞ思ひつゞけられける。
とは、本居宣長の「蓑笠日記」の一節。本居宣長は明和9年(1772)3月5日から14日までの10日をかけて、明日香、吉野の地に遊んだ。往路は泊瀬道、袋には伊勢本街道を歩いたようだ。そしてその旅の2日めに、この榛原の地に宿を求めた。その際に宣長が宿った宿の候補としてこの「あぶらや」がある。
もちろん、宣長は「はいばらといふ所にとまりぬ。」と書いているだけで、この「あぶらや」にとまったとは書いていないので断定はできない。けれども、三重松阪にある本居宣長記念館のホームページには次のような記事が載せられている。
私がこの宿の存在を知ったのは5ねん
ということで、「あぶらや」を後にした私は、次の目的に到着した。
墨坂神社である。