一昨日の夜、9月29日は改めて言うまでもなく仲秋の名月…お月見の夜であった。お月見といえばこんな私とて少々の思い出がある。
子供の頃の事だ。その日我が家の居間の東側の隅に小さな祭壇が設けられた。対になった花瓶にはすすきやら萩やらあとは覚えていないが活けられていた。一対のお灯明もあったかなあと思う。そんでもって中央にはお団子が供えられていたような、いなかったような…ちょいとあやふやな記憶である。
そんなあやふやな記憶の中でも鮮明に覚えているのは、そのあやふやな記憶のお団子の手前に供えられてあったもの。
枝豆、梨長十郎だよ、ぶどうこれはデラウェア、さつまいも
である。
なぜ記憶が鮮明なのかというと、これらのお供えは家族のみんなが祭壇に手を合わせたあと、わたしたちの口にはいるものだったからである。供物のそれぞれはそんなに珍しい食べ物とは言えないが、これらのすべてを一気にまとめて食べられる機会はお月見の晩にしかなかった。一年の中でも結構楽しみな一日だったのである。
ただし…残念ながら、子供の頃私が暮らした家には東側には窓がなく、外に出て、我が家の東側の通りに出ても、その向こうは小高い丘になっていて、かなり遅くなってから出ないと月は見えなかった。
なんて、私の子供の頃のことを書こうと思って書き始めたのではない。そろそろ話を元に戻したい。
この日、残業もせずに定時に職場を出た私はこう書くといつも遅くまで残業しているように見える早めの夕ご飯を済ませて私が家を出たのは6時30分ぐらいだったと思う。お目当ての大神神社観月祭は同じく6時30分が開始予定。時間に厳格な私のこと?、本来ならばこの時間に大神神社には到着していたかったのであるが、この日が平日である以上、仕事がある、しかたない。まさか、今日はお付きをしますから早引きをしますなんてのはちょいと言いづらい。
家を出ると、神社の方角から何やら神聖な調べがほのかであるが聞こえてくる。もう観月会が始まっているのだ。急がねばならない。
二の鳥居をくぐり参道に入るとご覧のように、両脇の灯籠だけではなく中央には足元の明かりも用意していてくださった。
さらに進む。
拝殿である。
いつもならこの石段を登り、大物主大神にお参りをするところであるが、おそらく、神様は今、こちらにはいらっしゃらない。なぜかというと、観月祭はここではなく、拝殿の北側にある祈祷殿前斎庭という建物で行われているからである。お供物その前に供えられ、祝詞もそちらで奏上される以上、今、神様はそちらの方にいらっしゃると考えなければならない。
で…祈祷殿の前に急ぐ。
手前に立っていらっしゃった神主さんがこの日の次第を示したものを配っていらっしゃる。
観月祭
令和5年9月29日(金)午後6時30分
於、祈祷殿前斎庭
一.参進・・・・・・・・・・平調 五常楽
一.修祓
一.宮司一拝
一.献饌・・・・・・・・・・平調 皇麞急
一.祝詞奏上
一.俳句被講
一.神楽・・・・・・・・・・磯城ノ舞・うま酒みわの舞・奇魂ノ舞
一.玉串拝礼
一.撤饌・・・・・・・・・・平調 越天楽
一.宮司一拝
一.退下・・・・・・・・・・平調 陪臚
私がその場についたのはこの次第の「俳句被講」が終わって、「神楽」が始まろうというタイミングであった。どうやら、家を出たときから聞こえ続けていた神聖な調べは、五常楽、皇麞急のどれかであったようだ。このあたりには全く疎い私であるから、聞こえていたのがこのうちのどれであるかは、恥ずかしながら全くわからない。
ともかく、「神楽」が始まる。厳かな調べにあわせ、きれいな髪飾りを光らせて巫女さんが位置につく。
曲目て言っていいのかな?は、まず「磯城ノ舞」。
宮人の 大終夜に いざ通し 雪の宜しも 大終夜
君が代の 長月こそは うれしけれ 今日皇神を 祀りはじめて
先に頂いた次第書に従ってお話すると、先の歌は古語拾遺所載のもので参出、参退の際の音声である。次が当曲で、宮内省楽師多忠朝太安万侶の裔であるの言によると、「崇神天皇御宇大和笠縫の里にて初めて神宮奉祭の節用ひられたる歌曲」が多家に伝来しており、それを、「今般磯城舞と銘記して再興」したものだという。次第書は、
崇神6年、倭笠縫邑に磯城の神籬を立て、天照大御神(八咫鏡)と草薙剣を、皇女豊鍬入姫命によってご奉斎された節、夜もすがら、宴楽(とよのあかり)が行われた。
とし、その際の祝歌が秘曲として多家に伝わったものが、この歌だという。思わず、その由緒の正しさに恐れ入ってしまう。
続いて、うま酒みわの舞。
参出には、
美酒 三輪の殿の 朝戸にも 出でて行かな 三輪の殿戸を
当曲として、
此の御酒は 我が御酒ならず やまとなす 大物主の醸みし御酒 いくひさ いくひさ
そんでもって参退の音声として、
美酒 三輪の殿の 朝戸にも 押し開かね 三輪の殿戸を
この歌については以前にも少々書いたことがある。以下を参照せられたい。
杉の枝に 霞こむれど 三輪の山 神のしるしは 隠れざりけり
千載和歌集1269番、範玄僧都の一首である。僧都は藤原為時(寂念)の子で鎌倉時代末の人。元興寺、法隆寺、興福寺といった大和で名高い寺の別当を歴任、大和の歌壇において重きをなしていたらしい。
さて、私達が会場についたときには三輪山の影に隠れ見えてはいなかった仲秋の名月は、「神楽」が終わる頃、祈祷殿隣の参集殿の上に煌々と輝いていた。