私がブログを始めた頃 その4

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しばらくの間「無題」というタイトルのまま書き続けていた我がブログにもようやくタイトルが付いた。佩文韻府という書物の中からやっとこさ見つけた言葉…北窓三友正しくは北窗三友という言葉である。佩文韻府という書物についてご存知のない方もいらっしゃるかと思うので簡単にご説明をと思うのだが、いざ説明をせねばと思うとどうまとめたらよいやら見当もつかないので、まあ、御自分でググっていただければと思う。とにかく便利な書物である。

さて、北窓三友という言葉について・・・

改めてご説明するまでもないかと思うのだが、かの白楽天先生の御作の詩題であるかなり以前、一度ご説明したような気もする。その詩に曰く…

今日北窓下 自問何所爲

欣然得三友 三友者爲誰

琴罷輒挙酒 酒罷輒吟詩

三友㴲相引 循環無已時

今日北窓の下 自ら問ふ何の為す所ぞ

欣然として、三友を得たり 三友は 誰とか為す

みて すなはち酒を擧げ 酒罷みて輙ち詩を吟ず

三友たがひにひ引き 循環めぐりてむ時無し

試みにちょいと訳してみる。

今、私は北向きの窓のもと、今日は何をしてやろうかと考えている。

嬉しいことに私には三人の友がいることに気がついた。その三人の友とは…

私が琴を引くことをやめるとき、それは盃をあげるときだ。

そして飲み飽きれば、詩を口ずさむ…

この三人はいつまでも私の相手をしてくれる。いつまでも…

あくまでも僻読。決して信用してはいけない。

細かいことはともかく、白楽天先生にとって友とは琴・酒・詩であったのだ。この琴・酒・詩を私なりに音楽・酒食い物・文学というふうに置き換えて、これらを中心に書いてゆけば、なんとかやっていけるんじゃないかと思ったのがブログを書き始めた頃の私である。もちろん、楽天先生のお言葉を勝手に用いさせていただくことに少々もったいない気持ちがしないわけでもないが、そこのところは目をつぶった。

ただ、その他にも別の案はなかったわけではない。

最後までこの北窓三友と並んで我がブログタイトルの候補としてあったのは「遠山無限」という言葉、そして「碧層々」という言葉であった。これはどちらもという碧巌録という仏典の一節であり、「遠山無限碧層々」とひと続きの言葉である。最初に思いついたのがこの言葉で、本当はこの言葉が我がブログタイトルになってゆくはずだった…

こんなふうに書くと、私が仏典にまで広く目を向けていたように思われるかもしれないが、決してそんなことはない。他人の受け売りである。

いや…「他人」というのは少々語弊があるかもしれない。私はこの一節を知ったのは、万葉古径という書物のあとがき中公文庫版であったかと思うが、その著者である沢瀉久孝先生本来先生と呼ぶには恐れ多すぎる方なのであるが以下の事情により先生と呼ぶは我が師の師、あるいは師の師の師。直接教えを乞うたことはおろか、お目にかかったこともない先生であるから「他人」というのが妥当かもしれないが、我が師をつうじ、いろいろとその人となりをうかがい、その著作を通じていろんなことを学んでも来たので全くの他人とも思えない。

そのあとがきを書いておられたのは小島憲之氏。氏は沢瀉先生が碧巌録のこの一節をもじって「訓詁無限」と言う言葉を口にしていらしゃったと書いていたように記憶する。沢瀉先生の万葉集に向き合う姿勢がこの言葉に示されていると思うのであるが、万葉集の訓詁注釈の泰斗である沢瀉先生をしてこの様のおっしゃっていたということが長く記憶に残っていたのである。

ともあれ、我がブログは北窓三友と名付けられた。その後、あれこれあって今の三友亭雑記というタイトルにたどり着いたが、そのあれこれのタイトルの謂れについては、ここまでのお話で概ねご理解いただけると思う。

ついでに言えば、三友亭主人というハンドルネームについてであるが、こちらについては現在のブログタイトルからその謂れは用意に想像できるのだが、私は始めからこの名を名告っていたわけではなかった。

ブログ開設当初の頃からお付き合いいただいている方にはまだご記憶の方もいらっしゃると思うのだが、ブログ開設当初の私のハンドルネームは「gatayan」。私の本名をもじったものであったが、その後ブログの運営を続けてゆく中で、三友亭という亭が出来た以上、その亭主が必要であろうということで、ハンドルネームを三友亭主人と改めて今に至っている。

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