昼食は御厨子観音。他の多くの皆さんはその境内や。その横の御厨子神社の境内まで行ってお昼をとっていらっしゃった。
私は前回紹介した入江泰吉の揮毫した歌碑の前、駐車場の端にある花壇の縁に腰かけて、朝、コンビニで買ってきたおにぎりを食べる。花壇の縁はちょうど腰かけるのに都合の良い高さである。そしてここからは三輪のお山がよく見える。
さて、おにぎりは食べ終わった。私も、御厨子観音にお参りだ。
この寺のご利益は一願成就。交通安全や学業成就、家内安全、ボケよけ、身体健全、商売繁盛などなんでもありで、そのうちの一つに絞ってお願いをすれば、その願いはかなうのだといわれている。
さて、私は何をお願いするべきか。普段なら恒久平和とお願いしたいところだが…ここは吉備真備ゆかりの寺。その学識にあずからぬ手はない…なんて考えながら、まずは隣接する御厨子神社の参道を登る。
少し雨が降り始めていたせいか、何人かの方がお社の軒下でお昼をとっていらっしゃった。そんなところにカメラを向けるのも失礼なので、お社に向かって一礼をしただけでその前を通り過ぎる。
いただいた資料によれば御厨子神社は、もと水尻神社と書いて、根裂神・安産霊神火産霊神か?を祀っていたのを、御厨子観音の鎮守の八幡様を合祀するにいたり、御厨子神社とその名を改めたのだそうな。境内は清寧天皇の磐余甕栗宮跡と伝えられている。
そして御厨子観音。
正式な名称は御厨子観音妙法寺。寺のホームページの説明には
御厨子観音妙法寺は、吉備真備が、入唐留学によって学芸を修めるとともに、唐から無事に日本に帰ることができたことに感謝し、735年(天平7年)に善覚律師(吉備真備の子)に命じて観音堂を創建させたことに始まります。
とある。その規模は、
盛時には、およそ5万平方メートルの境内に、北室院、南室院等の塔頭寺院が並び立ったと言われています。
とあるが、その後の数々の戦乱、火災などで今、当時をしのぶ建造物は残っていない。
続いて訪れたのが、稚桜神社。
履中天皇の磐余稚桜神社跡と伝えられている場所である。周囲には古池・滝ケ様、そしてこの場所の住所が池之内とかつて池があったことを思わせる地名が点在する。かつて、磐余のちにあったという市磯の池の存在を想像させる。日本書紀・履中天皇3年のことである。
天皇、両枝船を磐余市磯の池に泛べ、皇妃と各分乗りて遊宴びたまふ。膳臣余磯、酒を献る。時に桜の花、御盞に落つ。天皇、異びたまひて、則ち物部長真胆連を召して。詔して曰はく「是の花や、非時にして来る。其れ何処の花ぞ。汝、自ら求むべし」とのたまふ。是に、長真胆連、独り花を尋めて、掖上室山に獲て献る。天皇、其の稀有しきことを歓びたまひ、即ち宮の名としたまふ。故、磐余稚桜宮と謂すは、其れ此の縁なり。
なんとまあ、優雅な話である。この話には「冬十一月六日」とあるので、早くとも現在の12月の話ということになる。狂い咲きの桜さえ、あまり考えられない季節である。まあ、よくもそんな時期に舟遊びなどしたものだとp網のだが…ところで、この地と桜の木が見つかった掖上室山は直線距離にして8㎞強はある。このあたりの話はすべて事実とは考えられないから、目くじらを立てるほどのことは無いとは思うが、長真胆が桜の花を見つけたのが、なぜ掖上室山でなければなかったのか…このことには注意が払われなければならないだろう。掖上室山はおそらく現在の御所市室周辺の山を言うのだろうが、この周辺で山らしい山といえば、
巨勢山の つらつら椿 つらつらに 見つつ偲はな 巨勢の春野を
巻一・54
で有名な巨勢山ぐらい。この山の周辺にはいわゆる巨勢山古墳群がある。中でも有名なのは、室宮山古墳。全国で18番目の大きさを誇るこの古墳の被葬者は武内宿禰、あるいはその子である葛城襲津彦とされている。ふたりとも、直木孝次郎氏のいうところの「大王と葛城氏の両頭政権」の一翼を担った葛城氏の雄である。
履中天皇の母親は仁徳天皇皇后磐之媛である。
君が行き 日長くなりぬ 山たづね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ
萬葉集巻二・85
の作者とも伝えられ、古事記では激しい嫉妬の持ち主とも伝えられている、古代の有名人である。葛城襲津彦の娘であるから、履中天皇はその孫ということになる。履中は磐余の地にて即位すると、平群木菟宿禰、蘇賀満智宿禰、物部伊莒弗大連、円大使主を重臣とした伊莒弗大連を除けば、天皇を含めてすべてが葛城氏の関係の人物である。この時期の大和政権を、直木孝次郎氏が「大王と葛城氏の両頭政権」宜なるかな…である。そんな履中天皇の御代におそらくは吉兆である季節外れの桜が咲いていた場所が葛城氏の根拠地であるということには一定の意味がありはしないか。
そろそろ話が怪しくなってきた。萬葉一日旅行は5月14日のこと。ひと月以上立っている。せっかくの先生方のお話も、私の頭の中で変な具合に醸成されて怪しい方向に進もうとしている。そしてもはやどこまでが先生方の信頼の置ける話なのか、私自身の勝手な思い込みなのか判然としなくなってきた。
皆様にはご注意いただきたいと思う。