齢三十を越えたころから、郷里に帰るときには飛行機を使うことが多くなった。鉄道の料金が次第に上昇し、そのために必要とされる費用や時間などをあれこれ考え合わせたとき、どうしても飛行機に軍配が上がるようになったからだ。特に近年の航空運賃の割引率から考えたとき、どう考えても、それよりも高い料金をかけて、大和から京都に出て、新幹線を乗り継ぎ、さらに仙石線に乗り換える、といった行程でほぼ1日かけて郷里に帰る…なんてことは、どう考えてもやる気はしない。
ということで、帰京のついでに東京に立ちよいって神田の街をふらつくなんてことはとんとご無沙汰になってしまった。今、私が東京に向かうとすれば、それは通過点というよりは東京に行くことが目的になっている場合しかありえないが、私のようなものにどうしても花の都に行かなければならない用事など生じる機会はほとんどなく、この30数年で片手の指で数えられるぐらいしか東京に行っていない。
一つ目はお仕事で。仕事の場所は東京ではなくつくば市。だからこの場合は通過点のとしての東京であったのだが、このつくばでの仕事はひと月にわたる間の長きにわたったので、東京にも何度か足を延ばした。初めて直に歌舞伎を見たのもこのときだ。
二つ目は子供たちが小学校の上学年に差し掛かった時、一度ぐらいはこの国の首都を見せてやりたいという思いからお上りさんツアーを組んだ。はとバスもこの時初めて乗り、はとバスツアーなるものの完成度の高さに驚いたものだ。半日だけのツアーバスに乗り込んだのだが、実に効率よく東京の要所をめぐり、十分に首都を満喫することができた。
三つ目は千葉に住んでいる兄の息子が結婚した時。式は有楽町にある式場で行われたのだが、式、披露宴も終わって大和に帰ろうと有楽町の駅のホームに立った時、さっき挙式で若い二人の間を取り持った牧師さんが電車を待っていた。先ほどまでの厳かな雰囲気は全くなく、カジュアルな姿のさわやかな若者であった。
四つ目は、前の職場での懇親旅行。詳細は以前数度にわたりお話しした。
そして、5本目の指。おそらくこれがこれまでの私の人生での最後の東京だ。
NHKで日野正平さんの「こころ旅」という番組をやっているのはご存じの方も多いと思う。私も妻に付き合って欠かさず見ているのだが、ある日、その妻が急に「今度一緒に東京に行ってくれないか」という。なんでも、その「こころ旅」という番組の500回を記念して日野正平さんのコンサートが行われるそうで、試しに応募してみたら見事に当選し、招待されたのだという。コンサートの当日とその翌日のスケジュールを空け、さっそく新幹線の切符と宿を抑える。この時、私は私の住む桜井からだと、京都の出て新幹線に乗るより、名古屋まで出て新幹線に乗ったほうが早く安いことに気が付いた。しかも、jr東海の50プラスというサービスを使えば、名古屋から東京までを新幹線で往復し、そこそこのレベルのホテルに格安に泊まることができることを知り、もう東京へゆくのにわざわざ京都まで出てゆくことはないな…と思っている。
ともあれ、その年の12月、私は妻と東京へと赴いた。いつもはなかなかか姿を見せてくれない富士山がこのときばかりは美しいその姿を見せてくれた。
そしてホテルからも…
そんでもって夜は…こんな感じの、なかなかナイスなホテルであった。
ということで、前置きはここまで。大切なのは火野正平さんのコンサートを楽しみ、食事も済ませホテルで一夜を過ごしたあとのことだ。
せっかく東京まで来たのだから、コンサートを楽しんだだけで帰るのはもったいないということで、浅草見物と洒落込んだのだが、そこから帰りの新幹線に乗るために東京駅に向かう途中、上の駅の周辺で昼食を取ることにした。
そして…東京メトロの改札を出て、上野駅の中央改札の前に出た時、私に忘れかけていた一つの感情が蘇ってきた。