神田界隈については今日が本題…とはいっても、そんなに詳しいわけではないから、けっして期待はなさらぬように…
大学に入って2つ目の春を迎える頃、私は大阪の古本屋あたりにも何度か足を運び、その楽しみを知るようになっていた。それに、奈良の大学堂だって…
教えてもらったいくつかの著名な古本屋さんのほかにも、大阪の街をふらつきながら自分でもいくつかの古本屋さんを見つけたりもした。小さな…小さな古本屋さんでも、その本棚でこれはと思う本を見つけることもあった。
そんな4月のことである。その3月に定年で退職なさったH矢先生の後任として、関東のほうの大学からM田先生が我が母校においでになった。私達と10歳しか違わない新進気鋭の先生である。以降、卒業するまでの3年間、M田先生から私は学んだ。むろん卒業論文のご指導もそうである。
M田先生はH矢先生のあとを引き継ぎ、私達の研究会である万葉輪講会をご指導してくださった。その年はめぐり合わせでM田先生ご講義を受講することのできなかった私は、萬葉輪講会がはじまる月曜日の16時30分が待ち遠しく思うようになった。その輪講会の終わった後のひととき、あるいは一緒の帰る駅までの数十分…先生との他愛もないやり取りも私にとってはかけがえのない時間であった。
そんなやり取りの中、先生は時々東京の古本屋さんの話をして下さった。詳細は覚えてはいないが、私がその時知ったのは、東京の神田というところは古本屋さんがズラッと軒が並んでいて、大阪に古本屋巡りのように地下鉄を乗り換えながらあっちこっちへとしなくとも良いということだった。そして…そのお話を聞く中で、どうも大阪の古本屋さんではなかなかお目にかかれないような品物もその書棚には並んでいるらしいということを知った。そこまで聞いて、そんな街に行ってみたいという気持ちが私の中に湧き上がって来ない訳はない。
いつか行ってみたい…そんな思いを私はつのらせていった。
しかしながら先立つものに恵まれていない私にそのチャンスはすぐに訪れはしなかった。郷里の宮城との往復の際ちょいと立ち寄ればいいではないか…と思われるかもしれないが、その頃の私の経済力は、その往復の交通費を捻出するのがやっとで、古本屋さんを巡り歩くような余裕はとてもなかった。
それでも、一度だけ今は何も買えなくとも後学のために…と思い、神田の地を訪ねたことがある。たぶん、大学3年生の冬の里帰りのときであったか…?
しかし「あらまほしきもの」は「先達」である。無知とは本当に怖いものである。何も知らない私は予めどうやってその街にゆくべきか、「先達」にお聞きすることもなく、「神田」の駅を降りた。ご存じの方ならここで「神田…?」と思われるところだろう。そう、私が降りた駅の名は「神田」。山手線のあの「神田」駅である。むろん、ちょい歩けばこの駅からも聞いていた古本屋街には行けたはずであるが、その時私は駅から出て少し歩くなり、聞いていた話とは違う…という思いに囚われてしまった。
聞いていた話では駅を降りてほんの少し歩けば、道の両脇にいくつもの古本屋が連なっているということだったが、古本屋なんてどこにもないじゃあないか…どういうことか、事情が飲み込めなかった私は、神田の古書街を探訪することを諦め上野へと向かい、前年できたばかりの東北新幹線に乗り仙台へと向かった正確には上野発の大宮行の連絡列車。
神田神保町の行き方を知ることができたのは、この時の帰郷を終えて大和に戻り、S君にこの失敗譚を語ったときのことである。S君はこの頃すでに神田を経験していた。私がその時の帰郷の際にお金もないのに急に神田を訪ねてみようと思ったのも、それを聞いていたからだった。私と違ってS君は思慮深く計画的である。何も知らずに神田を尋ねるようなことはしていなかった。そんなS君が、「なんで聞いてくれなかったんだよ…お御茶ノ水か水道橋で降りなきゃあアカンのや…」といって、どのようにすればそれらの駅にたどり着けるかを教えてくれた。
私はその時、神田の古書街の最寄り駅が「神田」駅ではないのだと初めて知った。