前回は、幼い頃の東京での思い出についてちょいと書いてみた。
今回は少々大きく…いや、だいぶ大きくなってからの話になる。むろん、その間…例えば中学生の頃にも修学旅行で東京に行ったりはしているのだが、これは誰にでもある青臭い思い出に過ぎないので今回は触れない。触れるのは大学に入り、年に数度、郷里の宮城と大和を往復するようになってからのことである。
高校まではろくすっぽ本など読んだことのない私ではあったが、何を血迷ったか、「国文学国語学科」なんていうところに在籍するようになったから、否が応でも書物というものに触れる機会が多くなってきた。
そうすると、周囲から大阪の古本屋でこんな本を買ったとか、京都の古本屋にはこんな本があったとか言う情報が入るようになってきた。それまで古本屋というものは使い古しの本を安価で購入するための…金のないものそして私のそのうちの一人であったのためのお店であるとしか思っていなかった私だが、大学での最初の夏休みが終わる頃には、十分に古本屋というものの持つ役割というものを理解できるようになっていた。
いくつかの著名な古本屋さんの名前が耳に入ってくる。
奈良の「大学堂」。近鉄奈良駅を降りて、奈良女子大学へ行く途中にある。しかしこの店を知ったのは結構あとになってからのこと。まず耳に入ってきたのは大阪にある古本屋さんの名前である。
「天地書房」…近鉄難波駅をちょいと東に行った大きな通り沿いにあった。今は移転し、なんばグランド花月のそばにあるらしい。
「天牛周防町店」…アメリカ村と呼ばれた若者の街にあった。規模が大きく色んな種類の書物がおいてあった。
この2つのお店は、いずれも難波の駅から歩いて行ける範囲だ。大阪のような大きな街に不慣れであった私が少々ビビりながらこれらのお店に初めて行ったのが大学の1年も冬に近くなった頃であろうか。今、大阪の大学で教鞭を振るっている同級生のS君の案内によってであった。後の進路が示すようにS君は常に私より先を歩いていたので、古本屋巡りも慣れたものののように私には見えた。
私はいつも彼のあとを追いかけていたような気がする。
もちろん、大阪の古本屋はこれだけではない。天王寺界隈にも数軒、上本町にも数軒…天神橋の商店街にもいくつかあった。そして何よりも梅田にあった、阪急古書のまち「かっぱ横丁」。いくつもの古本屋さんが軒を並べているこの場所は、当時の私には夢のような場所であった。他にも…梅田といえば大阪第3ビルだったかに古本屋さんが3軒ほど並んでいて、そこにもよく足を運んだ。ただ、これはあくまでも印象のみの話であるが、梅田は他の地域に比べて同じ品でも少々値が張ることが多かったような気がする。その分だけ状態の良い本がおいてあったのだろうとは思うのだが、懐中の乏しかった私今だって懐中は乏しいにとって、やはり難波や天王寺、上本町の古本屋さんのほうが魅力的であった。
…と、そろそろこの文は東京のことを書こうとしていたのではないかとのお叱りを受けるかもしれないので、言って置かなければならない。
今回はあくまでも本題に入ってゆくための前置きである。本題は…そう…、東京は神田界隈の思い出である。しかしながら今回は少々前置きが長くなってしまったので、本題は次回ということにしようと思う。
「次回」と言ったが、それはあくまでも「行ったことのあるところ」の次回である。
実は前回書いたことについて、