「東京へはもう何度も行きましたよ〜」なんて繰り返される歌が流行っていた頃があった。
私だって東京に行ったことは何度もある。奈良に親戚がいた関係で、夏休み等の長期の休暇には家族揃って奈良で過ごすことも多く、幼稚園に入る前から宮城と奈良を往復する機会の多かった。その往路・復路の途中で必ず東京を通過した。朝、仙台の方から東北本線途中から東北新幹線になったに乗って、あるいは京都から新幹線に乗って・・・お昼どきはちょうど東京になる。
昼食は、上野か東京の駅で買った駅弁で移動しながらで済ませることも多かったが、時には駅から出てその近辺で済ませることもあった。かなり昔のことであるゆえその殆どは記憶していないが、一つだけ今もありありとその光景を思い浮かべることのできる記憶がある。
それは、小学校の高学年の頃のことであったと思う。東京の駅であったか上野の駅であったかは定かではない。地下の食堂街にある中華料理屋さんだ。店の名はむろん覚えてはいない。7〜8人も並べばいっぱいになるカウンターの席と、その後ろの狭い空間に4人がけのテーブル席が2つほど窮屈そうに並べられてあったと思う。一緒にいるのは父のみ。私が小学校の高学年になった頃には兄たちは高校や中学校のクラブ活動やらなんやらで、この奈良行にはついてこなくなっていて、私一人のみで夏休みを過ごすことが何度かあった。母はおそらくそんな兄たちのために宮城の方に残っていたのかもしれない。
とにかくその昼食は私と父の2人だけであった。私の注文したものは・・・五目ラーメン。子供の頃の私は妙に五目ラーメンが好きであった。いつも、中華料理屋に連れて行ってもらったときは五目ラーメンばかり頼んでいた。五目ラーメンにはつきもののゆで卵鶏卵のときもあれば鶉の卵であったときもあるが目当てだったのである。
記憶はその店の五目ラーメンのことではない。美味しかったのかどうかさえも覚えていない。覚えているのはその店で見たことだ。
私と父はカウンターの席に座っていた。厨房の中がよく見える店であった。中では数人の料理人さんが忙しそうに働いている。そのうちの一人がなにか炒めものを始めたようだ。コンロからは激しく炎が上がっている。
巨大な中華鍋をその炎の上にかざす。そして油が注がれ、青白い煙が薄っすらと立ち上ってきた。具材が鍋に放り込まれ、その料理人が忙しく鍋をふるい始めると…鍋から大きく炎が立ち上り、そんなに高くはない天井を焦がすばかりに見えた。
そんな光景を始めてみた私は思わず、「火事になる!!」と思った。口に出たのだと思う。父は少しも驚いた様子を示すこともなく、「大丈夫」と言った。これだけ激しく炎が上がっているのに、火事にならないはずはないと思った私は周囲を見回す。他のお客さんたちも、その炎の立ち上る音が聞こえているはずなのに平然と会話を楽しんでいる。
その後、宮城に帰ってもその様な経験はほとんどすることがなかった。私の住む街にはいわゆる大衆食堂はあっても、中華鍋から炎の吹き上がる本格的な中華料理店は存在しなかった。
あの、中華鍋から立ち上る猛烈な炎を見て、心のなかで、「火事だ」と叫ばずに住むようになるまでに、このときから結構な日数がかかったことは言うまでもない。
ともあれ、これが私の最初の東京での経験であった。