万葉ウオーキング3回目の日からもうじきひと月が経つ。その翌日からレポートを始めてから今日がもう5回目。とは言うものの、まだ全行程の半分もお話できていない。しかしながら、こうやって、ノロノロと書いている内に、お聞きしたお話の記憶を定かではなくなっている。どこまでがお聞きした話なのか、どこからが私の勝手な思い込みなのか…次第に判然としがたくなってきた。先を急がねばならない。あの日お聞きしたお話の記憶が残っているうちに、この一連のレポートは終わらせなければならない。
ということで、今回からは少々はしょりながら先に進むこととする。
今はコンクリート製の収蔵庫の中に鎮座する金谷の石仏から、次の目的地である志貴御県坐神社までは、5分とかからないぐらいの距離である。畑の横の細い道を西に少しゆくと前方にあまり大きくはないが、なにか曰く有りげな木立が見える。そこが…志貴御県坐神社である。当日は日差しの強い暑い日であったから、このような木立はまことにありがたい。
さあて、ここでのお話は坂本先生である.
志貴御県坐神社は大和の国に置かれた6つの御県(高市・葛木・十市・志貴・山辺・曽布)の一つで志貴の地に建てられた式内大社で、境内地は第10代崇神天皇の磯城瑞籬宮の伝承地でもある。
この神社の鳥居をくぐったすぐのところに小さな歌碑がある。
敷島の 日本の国に 人二人 ありとし思はば 何か思はむ
万葉集巻十三/3249
という歌が彫り込まれている。
この歌は私としては結構思い入れのある歌である。大学に入って間もない頃、すなわち萬葉集をかじり始めた頃のこと、私は萬葉輪講会の先輩から、読むように薦められたの澤瀉 久孝「萬葉古径」である。。
歌を「訓む」ということはこういうことか…その厳密な考証のあり方は強く私をひきつけた…というような感慨にふけるのは後回しにして…ここからは坂本先生のお話である。
この神社についての説明、石碑の歌の説明が一通り終わったあと、先生は石碑の文字揮毫した山口誓子氏のとある句についてふれた。
舟蟲が 溌溂 原子力發電
坂本先生のお話に曰く…この句がかつて関西電力のCMに使われていて、原子力発電のイメージ向上に用いられていたとのこと。このCMを見てからは、山口誓子氏に対して、以前のような敬意を持つことができなくなったと。さすれば、そこに先生の原子力発電に対するお思いが窺われると考えられるわけだが、先生はさらに続ける。それは楽天イーグルスという野球チームを全国優勝に導いた監督である星野仙一氏にまで及んだ。それはやはり星野氏が関西電力の原子力発電のイメージ向上のためのCMに出ていたということ。そしてそんな星野氏が、かの震災の際に原子力発電所の事故によって大きなダメージを受けた東北のチームの監督に就任したということが、どうにも納得できない…という口ぶりであった。
かつて萬葉学会の一日旅行でこの地を訪れた際にも先生は同じ内容のお話をしてくださったことを思い出した。
そして三輪山平等寺である。
お話の方はこの平等寺でも先生方のうちのどなたかがなさっていたが、まことに失礼なことながら、そのお話はほとんど聞くことができなかった。
なぜならば…じつは、何を隠そう、私…三友亭主人はこのお寺の檀家であり、月に一度は我が家にこの寺のお坊様に来ていただきお経を上げてもらってもいるのだ。てなことで、境内には到るところにおなじみの仏様やら、お不動さんやらがいらっしゃるのでちょいとご挨拶をしていたら、先生のお話が終わってしまっていたのだ。
そして…いよいよお昼。これも、かつて利用させていただいた大神神社の大礼記念館という施設。それはそれは広いお部屋を用意していただいてお昼ごはんである。人数にしては広すぎるほどの部屋なのだが、これもまたコロナ対策ということか…
私は畳の上に腰を下ろし、朝コンビニでかったおにぎりを頬張った。
そして始まったのが、大島先生による大神神社、三輪山についてのご説明。外はだいぶ暑くなっているがゆえに話の方は涼しいお部屋の中で済ませておこうと言うことなのだろう。
ということで、次回は大島先生による大神神社、三輪山についてのお話からスタートする。