先週は週の初めから、若いお客さんたちのお世話で四国へと同行した。バスでの移動で、奈良から高速道路で岡山へ、そして瀬戸大橋を渡って香川から高知、そして帰りは明石大橋を渡って帰ってくる…という道筋の2泊3日の旅である。
瀬戸大橋はご存知のように一本の橋ではなく、点在する幾つかの島をつなぎ合わせ、岡山と香川と結んでいる。その幾つかの島の一つ、与島での休憩の折だ。私は展望台に登り四国側を見た。
あれ、橋の行き着いた先の円錐状の山は…テレビなんかでよく見ていた讃岐富士ではないか…と案内板の確かめる。
残念ながら、お目当ての山は載ってはいない。その隣にあった青ノ山まではあったのだが…
…まてよ、その隣の沙弥島…どこかで聞いたことがあるぞ…
讃岐狭岑嶋視石中死人柿本朝臣人麻呂作歌一首
玉藻よし 讃岐の国は 国からか 見れども飽かぬ 神からか ここだ貴き 天地 日月とともに 足り行かむ 神の御面と 継ぎ来 那珂の港ゆ 船浮けて 我が漕ぎ来れば 時つ風 雲居に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺見れば 白波騒く 鯨魚取り 海を畏み 行く船の 梶引き折りて をちこちの 島は多けど 名ぐはし 狭岑の島の 荒磯面に 廬りて見れば 波の音の 繁き浜辺を 敷栲の 枕になして 荒床に ころ臥す君が 家知らば 行きても告げむ 妻知らば 来も問はましを 玉桙の 道だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ はしき妻らは
妻もあらば 摘みて食げまし 沙弥の山 野の上のうはぎ 過ぎにけらずや
沖つ波 来寄る荒礒を 敷栲の 枕とまきて 寝せる君かも
柿本人麻呂 万葉集巻二/220〜222
の「讃岐狭岑嶋」だ。これは、もうちょっとよく見なければと、携帯のカメラの望遠機能を最大限にして撮ったのがこれ。
かなりぼやけているが、これが限界だ。
柿本人麻呂は土地の神を褒め称え、その死者の家への思いを歌う。「旅」と「家」の構図は当時の旅の歌の基本的な構図であるが、この歌においてはその構図自体が死者の死を悼む行為となっている。
それにしても…この歌から感じていた私のイメージは、もうちょいと陸から離れた場所にある、磯の目立つ岩礁のような島だったのだが…無論生えている樹木について言えば、長い年月の影響もそこにあるだろうから、そこを考慮に入れなければならないが、島の形状は思っていたよりもずっと優しい姿をしている。それに、陸地からもこんなに近い…
なんで、こんな場所で行き倒れに…なんて思ってしまう。
けれども、それは古代における旅の困難さをかえって印象づけてくれる。こんなところでも命を落としてしまうほど…その旅の安全は保証されていなかったのだ。