先日…といってももう去年のことになる。わが町、奈良県桜井市の市役所が新装された。周辺の施設はまだ工事中といった雰囲気であるから完成というわけではなかろうが、建物自体は出来上がり、役所としての業務は滞りなく行える状態までにはなっている。
そして、その庁舎の完成前から聞いていたのが、屋上に庭園が設けられ、そこからの眺望が味わえるということ。思えば、こんな感じで自治体の庁舎の屋上や、最上階などが開放されている例は珍しくはないから、なぜ立て直す前は開放されていなかったのだろうと思わないでもないが、その頃はまだそんなことは流行ってはいなかったんだろうなとも思う。
ただ、この桜井市の新庁舎の屋上庭園はいつでも利用できるわけではない。平日の、役所が開かれている時間だけの開放なのだ。確か、奈良の県庁の屋上は土日でも開放されていたはずだし、お隣の橿原市の総合庁舎の屋上だって…などと不満には思いながら、先日、やっと平日に休みが取ることができて、この桜井市民としての当然の権利を行使することができた。
前置きはここまでにして…そういえば、屋上どころか新庁舎さえも中に入るのは初めてだなと思いつつ、キョロキョロしながらエレベーターを探す。エレベーターは私が入った入り口のちょうど反対側にあった。
ボタンを押して、エレベーターが降りてくるのを待つ。そして、ドアが開けば早速乗り込んで「R」のボタンを押す…
…そして屋上。
北を見る。
ほぼ真北。中央にこんもりと見えるのは箸墓古墳である。宮内庁においてはこれを「大市墓」と称し、第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命の墓ということになっているが、これを、かの邪馬台国の女王卑弥呼の墓とする考えも一般的であるということはご承知の通り。全長280mというから、結構巨大な古墳であるが、直線距離にしてほぼ2.5km…いや、もう少しあるかな…も離れると、こんなサイズに見える。
そして、ほんのちょっと東に視線を移せば、ご存知三輪山。大和随一の神の山である。奥に続くのが竜王連山。
そしてちょうど、今見えているこの範囲…桜井市北部の一帯を1700年以上前遡らせた姿がこれである。
桜井の広報紙である「わかざくら」1334号は「纏向学研究センター設立10周年記念特集 纏向遺跡が語るヤマト王権誕生の姿」という特集が組まれ、表紙は「巻向遺跡出土木製仮面」である。
そしてその表紙を一枚めくった位置に配置されているのが、上の纏向遺跡の復元想像図である。纏向学研究センター所長の寺沢薫先生とイラストレーターの加藤愛一さんの手によるものとの注記がある。
そうだ…思えば、わが町桜井はほんの1700前はこの国の都であったのだと思いがわき起こるとともに、今とは違う豊かな流れに、かつてこの街は水の都であったことに改めて気付く。
そして真東を見たのが上の写真。中央手前ののなだらかな参加っていは外鎌山。忍坂山とも呼ばれている。標高は292m。万葉集には
こもりくの 泊瀬の山 青旗の 忍坂の山は 走り出の 宜しき山の 出で立ちの くはしき山ぞ あたらしき 山の荒れまく惜しも
万葉集十三/3331
なんて歌が残っている。また、舒明天皇の
夕されば 小倉の山に 鳴く鹿は 今夜は鳴かず い寝にけらしも
万葉集 巻八/1511
の小倉山とはこの山ではないかとの考えもある。画像の左奥にちょいと高い山があって目立つが、はじめ私はこれを宇陀の鳥見山ではないかと考えて先日ツイッターなどではそのように投稿してしまったのであるが、よくよく考えれば宇陀の鳥見山はもうちょっと北じゃないかと思い、地図を見直してみたら桜井と宇陀の協会に西山岳という山の名を見た。はて、どっちだろうと思いつつ、今も地図を見ながら考える…
結局よくわからない。
更に目を南に移す。真南は屋上庭園の構造上見えないので、これはやや東南。手前の山は桜井の鳥見山。宇陀の鳥見山との関係については以前に詳しく述べた。
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古事記(仁徳記)には速總別王と女鳥王の悲話が残るが、その中で天皇の軍に追われて宇陀の地に逃れようとしたこの二人が、
梯立の 倉橋山を 険しみと 岩かきかねて 我が手取らすも
梯立ての 倉橋山は 険しけど 妹と登れば 険しくもあらず
とよまれた倉橋山はこの音羽山のことではないかともされている。
そしてその右、建物が一段高くなり見え難くなっているその上に見えるのが多武峰。例の645年のクーデターに始まる諸改革を、中大兄皇子と中臣鎌足が相談していたと言われているあの山である。
続きは来週ということで…
コメント
「木製仮面」は初めて見ましたが、いいですね、これ。ポカンと開いた口がおもしろい。これほど単純化されているのに、鼻だけは立体的だし、ちゃんと穴が二つ開いているところなど不思議にリアルです。
写真で見るかぎり全体にフラットなので、顔に当てるのはむずかしそうですから、単なる装飾品でしょうか? 興味が尽きませんね。
薄氷堂さんへ
>写真で見るかぎり全体にフラットなので、
どうやら農具の「クワ」の転用らしいんですけどね。
いずれにしても見ているとホッとするような顔立ちのお面で…まあ、この時代のものは、埴輪といい土偶といい、妙に愛嬌があるんですよね。