昨年の暮れも迫ったころテレビを見ていたら、隣町の田原本町の、とある神社を紹介していた。村屋坐弥冨都比売神社である。主祭神は三穂津姫命、大神神社の主祭神である大物主大神のお后様であるという。
なんでも、当神社のホームページによれば、嫁ぐ為に高天原から天下る際に「3本の稲穂を持って降りられ、稲作を中津国に広め国を豊かにした」とあり、「内助の功」の神であるという。また、大物主大神のお后様ということなので、この村屋の人々は正月の大とんどのときに、大神神社と村屋神社の両神社の火だねをもらって帰り、その日で炊いた雑煮を食べて1年の家内安全を祈願していたという。「また大神神社(夫神)と村屋神社(妻神)を両方お参りすることでいっそう利益が得られると謂われて」いるそうで、隣町に住民にして大神神社の末社の一氏子である私としては「これは、一度ご挨拶に行かねば…」と思わせるのに十分な情報である。
とはいえ、神代においてあちらこちらで「浮き名」を流しておられた大物主大神様でいらっしゃるが、そんなお相手の中に高皇産霊尊のお嬢様がいらっしゃったなんて…
「高皇産霊のお嬢様ってことは、やっぱり正妻扱いだろうなあ…さすがの大物主大神様も、その後はあっちの女、こっちの女と足を運ぶことが難しくなったんじゃあないかな?」なんて、下らぬことを考えながらさっそく、古事記のページを繰ってみる。
そんな記述はない…さては日本書紀か…
あった、あった、ありました。それは高天原による葦原中つ国平定の下りである。そしてそれは、その項目に関してはいくつかあった別伝の中にあった。こんなくだりである。
それは高天原による葦原中つ国に対する平定が進められつつあるときである。葦原中つ国の神の人柱である大物主大神もさすがに高天原に服属を誓うことになる。服属を誓うために高天原に上った大物主大神に高皇産霊尊は次のように言う。
汝若以國神爲妻 吾猶謂汝有疏心 故今以吾女三穗津姬 配汝爲妻 宜領八十萬神、永爲皇孫奉護
汝若し国つ神を以て妻とせば 吾れ猶ほ汝に疏き心ありと謂む。故れ今吾が女三穂津姫を以て汝に配せて妻とせむ。宜しく八十万神を領ゐて 永に皇孫の爲に護り奉れ
日本書神代紀
今風に言えば政略結婚とでもいのだろうか、それとも服属をしたことに対してのご褒美か…それはどんな三穂津姫が娘さんだったかで見方は変わってくるようにも思うが、まあ、その両方の意味もあったのだろうななんて私は感じていた。
ということでテレビで情報を得てから、数日後、早速田原本に向けて車を走らせる。写真に日付を見ると12月の12日となっている。神社中つ道に面していて、我が家からはほんの十数分である。
さあて…どんな御社か…楽しみである。
<続く>