廣瀬社  おまけ

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おまけをば一つ…

廣瀬社はかなり前から一度は行ってみたいと思っていたお社だった。前回までの記事にもある通り、日本書紀・続日本紀を開くと、何度も何度も目に入ってくる名であるし、何よりも大和に出てきてから聞いたこのお社で行われるという奇祭にも大いに興味が惹かれたからだ。

その名は「砂かけ祭り」。正式には「御田植祭」というのだそうだが、それがなぜ砂かけ祭りと呼ばれるようになったかは下の動画を見ていただければご理解いただけよう…

広瀬神社の砂かけ祭り2020

なんともまあ、荒っぽいお祭りである。砂は農作物にとっての恵みである雨を意味するのそうだから、大和国内の水を司るこのお社にはふさわしいお祭りとはいえる。

還暦も回った今となっては、こんなふうに砂を頭にかけられたりすることは遠慮したいところだが、若いころは一度はこの集団の一員となるのも面白いなとも思っていたものである。

そしてその頃のこと…「砂かけ祭り」なる奇祭の存在を知った私は子供の頃に漫画雑誌の特集だったかで、付録だったかで愛読した水木しげるさんの妖怪百科的な著作の一節を思い出したきちんとした書名は覚えていない

このお方についての話だ。

ご存じ「砂かけ婆」である。その妖怪百科的なものには「砂かけ婆」は、奈良の妖怪とあった。、日暮れ時の神社などを通りかかると、突然バラバラと砂を振りかけられる…が、とそちらの方向を見ても誰もいない、なんてことが書いてあったように記憶する。

おそらく水木さんは柳田国男の、

奈良県では処々でいふ。御社の淋しい森の蔭などを通ると砂をばらばらと振掛けて人を嚇す。姿を見た人は無いといふ(大和昔譚)のに婆といつて居る。

柳田国男 『妖怪名彙』妖怪談義

あたりを参照しての記述なのだろうが、 面白いのは「姿を見た人は無いといふ(大和昔譚)のに婆といつて居る」というところ。確かに誰もその姿を見たことがないのに「婆」なんて名前を付けたのは変だ。柳田国男の「?」も理解できる。そこでその文中に出てくる「大和昔譚」にあたってみる。現物にあたることができず、河合町史からの孫引きになるのが心苦しいが、そこには、

お化けのうちに、スナカケババといふものあり、人さびしき森のかげ、神社のかげを通れば、砂をバラバラふりかけておどろかすといふも、その姿を見たる人なし

とある。

確かに「その姿を見たる人なし」とある。いったい誰が「婆」なんて名付けたのだろうか…。でも、考えてみれば、多くの場合、妖怪なんて言うものは「その姿を見たる人なし」ってのが相場だろうし、そうなると事情はどの妖怪も同じようなもの。ことさら「砂かけ婆」にだけ懐疑の目を向けるのは不当というものだろう。私たちはただ、自然界の理解しがたい現象になんらかの理由付けをしようとその想像力を逞しくも駆使したご先祖様たちに敬意を払っていればいい。

話を元に戻す。

大和に暮らすようになって、「砂かけ祭り」なる奇祭の存在を知った時、私はすぐさまこの砂かけ婆」のことを思い出した。そうか…こんなお祭りがあるから「砂かけ婆」なんて妖怪を大和の人々は想像したんだろうな、なんて考えたりもした。そして、子供の頃に耽読した妖怪百科的なものを思い出し、一度「砂かけ婆」に砂をかけられるのも悪くはないな、と思った私は一度廣瀬社に行ってみたいものだと思い始めるようになった。

そして、やっとのこと訪れることができたのは先日のこと。

そこには実に40年以上の歳月が横たわっていた…

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