万葉集の学び始め 実践編2

シェアする

…とだいぶ長くなってきた。あと少々というところまできたが、こっから先がちょいと私が言いたいことを言った部分になる。そこのところは次回に回して、今日はここまでにしたい。

と、前回は中途半端なところで終わってしまった。であるから、今回は当然その続きということになる。「こっから先がちょいと私が言いたいことを言った部分」なのであるが、それはただ私が「言いたい」と思っただけのことであるから、ここでそんなにハードルを上げてもらっては困る(笑)。

では…「一云」以下についてである。前回は「嬬賜爾毛」の部分の「爾」を「南」の誤写とする理解について、

この誤字説はこの部分が本文の「妻寄し来せね」の別伝で、同様の意味「妻を賜りたい」と云う意味でなければならず、略解あたりまで行われていた「賜ふにも」の訓ではそうはならないところから、ここは願望の「なも」がほしいところだという判断から来たのだろうと思う。

としながらも、

しかしながら誤字の可能性を考えなければならないのは、伝わってきている文字面ではどうしても理解できない場合に限る。この場合、どうしても「爾」のままでは理解できないのだろうか…

と述べた。

さて、近世から近代にかけて、この誤字説が主流だった中で窪田空穂「万葉集評釈」は

「爾」の字をそのまま「に」と訓む「妻給にも」という訓を提示し、

妻を賜わりたいものだ、妻という名のままに、「にも」は「なも」に同じ。「に」は願望の助詞。

とした。「にも」が「なも」と同じならば、ここはこれで意味が通ることになる。しかしながら、そんなに都合よく願望の助詞なんかあるのかよと、ここは一回疑ってかからなければならない。そこで頼りになるのは時代別国語大辞典か日本国語大辞典。確かにその存在は確かめられた。この時のメモはすでにないから、今手元にある精選版日本国語大辞典の記述を以下に示す。

[終助]
1 《上代語》活用語の未然形に付く。他に対してあつらえ望む意を表す。…てほしい。
「ひさかたの天路(あまぢ)は遠しなほなほに家に帰りて業(なり)をしまさ―」〈万・八〇一〉

さらには岩波古典大系「万葉集」の頭注にも

妻賜はにもー妻を賜わりますように。賜ハニモは、賜ハナモに同じ。ニは動詞未然形について、ほかの人の行為を期待し、勧める意を表わす。

とあった。

これならば無理な誤字を考える必要はない。古典大系以降の注釈書も多くこれに従っており、この考えに従うべきではないか…と。

以上が私の萬葉輪講会での初報告である。まあ、もっと調べるべき点・考えるべき点はあったにしろ、ほんの4か月前までは高校生だった人間しかもあんまり文学というものに縁がなかった(笑)がここまでできれば上々じゃないかと思う。

そして、一通りの報告が終わった後、本文「妻依來西尼」の部分についての訓みに少々の疑義をさしはさんだ。この部分の訓みについては「万葉集略解」が「つまよしこせ」と改訓し、その後多くがこれに従ったとし、いったんはこれに従うべきであろうと報告した。が…私は当時最新の注釈書であった集英社古典集成「萬葉集」が示していた「妻寄しこせ」という訓みが気にかかっていた。これまで「ね」と読まれてきた「尼」という字を「に」と読んだのである。

寄しこせに 「に」は希求の終助詞。異文の「にも」も同じ。

と古典集成は説明する。先ほどご説明した終助詞の「に」と同じものとの理解である。「ね」の方の意味は前回かんたんに説明したとおり。念のためにここで日本国語大辞典精選版の説明を示しておこう。

〘終助〙 文末にあって動詞型活用の語の未然形および禁止の「な…そ」をうけ、他者の行動の実現を希望する意を表わす上代語。下に感動の「も」の添った「ねも」の形もある。

「に」も「ね」も動詞の未然形に接続し、他者に対して何らかの行動を希求する意味を示す。そう変わらない私なんかは、そもそもこの二つは同語であると認識しているのだが根拠はない。言ってみればどっちでも言わんとしている中身は同じ。「に」と読もうが「ね」と読もうが変わらないわけであるが、ここで問題となってくるのは、「尼」という字の読みである。現在の私たちの読み方に従えば「に」と読むことが自然なような気がするが…果たして万葉集の時代はどうなのか。これについては以下に詳しい。

尼は万葉仮名としてネとニとに使われている。潮舟・さ阿後尼あごねの原・筑波嶺つくばね・そね(助詞)・ね(助詞)に使われたのはネ、にほふ・に(助詞)に使われたのはニである。
元来、尼の字は、韻鏡では、内転第六開、脂韻三等の文字で、広韻では女夷切である。これは上古音が董同和の脂部陰声開口に属する文字で、nied→nie→ni という変化を経た文字である。従って、nie の段階ではネを表わし、ni の段階の音ならばニの音を表わしうる。日本に入った古い字音(推古朝から藤原朝以前)ではネと聞えるのであったろうし、その次の時期に至っ
ては中国における変化を反映してニと聞えたであろう……ネと二との中間の音であったからであるわけではない。

岩波古典大系「万葉集二」p466 1689の補注

内転第六開とか脂韻三等とかちんぷんかんぷんの言葉が並んでおり、さっぱり訳が分からないが、まあ、「尼」という文字の発音が「ね」から「に」へと変化し、この文字が使用された歌が「ね」と読んでいた時期のものならば「ね」と読むべきだろうし、「に」と読んでいた時期ならば「に」と読むべき…ということだろう。そしてその境界を藤原朝以前と以後に分けている。

とすれば、今回割り当てられたこの歌がいつ詠まれたものかはっきりすれば、「に」と読むべきか、「ね」と読むべきかがわかってくることになる。

しかしながら…この歌の場合、その判断が簡単にはいかない。この歌が詠まれたのははっきりしている。大宝元年である。当時の都は藤原京。藤原時代ということになる。だから「ね」と読むべきだと判断すべきだ…と言いたいのだが、あと数年もすると都は平城の地へと遷る時期で、いわば時代のはざま。ひょっとしたらもうすでに「に」と読むようになっていたかもしれない…とも考えられる。

だから…私としては「妻寄しこせに」という訓みの可能性にも惹かれるものがある…とその時提案した。最新の注釈書が示した案というところに私は飛びついたのだ。

H先生は「どちらの訓も成り立つ以上、あえて改訓することは避けた方がいいのではないかな。」という趣旨のお言葉をいただいたような記憶がある。むろん、先生は決して「に」と読むことを否定されたわけではない。ただ、さしたる根拠もなくむやみに新しい方向へ進もうとした私にやんわりと釘を刺されたのである。

シェアする

フォローする

コメント

  1. 玉村の源さん より:

     興味深く拝読しました。
     しかし、良く憶えていらっしゃいますね。印象深かったのでしょうね。

     同じ巻9の1694番の四句目が「吾尓尼保波尼」という本文で、これを諸注釈は「われににほはね」と訓んでいますので、1つ目の「尼」は「に」、2つ目の「尼」は「ね」の仮名としていますね。
     こういう例があるので、「尼」を「に」と訓むことは十分に可能でしょうね。
     しかし、同じ句の中で、同じ仮名を別の音に当てるって、ずいぶん不思議なことをしたものと思います。

  2. 三友亭主人 より:

    源さんへ

    >良く憶えていらっしゃいますね。

    どこまで正確な記憶かは自信がないんですがね。
    ただ、これを書こうとして、たぶん当時しただろう作業をしていくうちに何となくこうだったとかああだったとか・・・思い出すんですよね。それがまた地震のない記憶なんですが。

    >1694番の四句目が「吾尓尼保波尼」

    そうなんですよ。実は偶然といってはないんですが、次の発表を任されたのがこの鷺坂の歌でした。ただ…たぶんこの「こせ尼(ニ・ネ)」のこともあったので、結構問題意識をもって取り組んだはずなんですが…記憶がないんですよね、どう処理をしたのか…そんでもって、おっしゃるように諸注「われににほはね」と訓んでいるんですが集成と釋注は「にほはに」になっていているかと思うんです。ですから、この辺りについては次回にふれられればいいなと思っています。

  3. 玉村の源さん より:

     あ、そうでしたか。
     すみません。先走ってしまいました。(^_^;

     しかし、次の発表がこの歌って、すごい巡り合わせだったのですね。

    • 三友亭主人 より:

      源さんへ
      >先走ってしまいました。

      いえいええ、次回へのいいきっかけになりました。
      ただ、鷺坂の歌については思い出すことが少ないんですよね。