その書を手に取ったのは、大学に入って2ヶ月もたった頃であろうか。結構記憶ははっきりしていて、どんよりとした空の下、大学帰りの、駅に向かう道の途中の自分の姿がありあり思い浮かべることができる。書店の名は海老山書店。駅から大学へだらだらと商店街にたった2つあった書店の1つだ。
その書の名は「萬葉古径」。当時は中央公論社文庫として出版されていた。著者は沢瀉久孝。その頃にはもう何度も参加した萬葉輪講会で、毎回のように(というより毎回)耳にしていた名である。いや、呼び捨てはちょいと気が引ける。なにせ沢瀉久孝は萬葉輪講会のお世話をしてくださっていたH先生の師匠、そしてH先生が御退官になった後の大学の2年の年から輪講会でお世話になったM先生の師匠の師匠にあたるお方なのだから。しかしながら、卒業論文のご指導を頂いていた時にM先生からは論文中にあっては、その客観性を保つためにも人名に関しては○○氏と書くこと、あるいは呼び捨てにするようにとのご指導があった。私はその後もその教えを忠実に守っているのだが、今書いているのはそんなたいそうなものではない。したがって以降は沢瀉先生と書くことにする。
沢瀉先生は昭和万葉学の集大成と言ってもよい大著「萬葉集注釈」の著者で、萬葉学会の初代代表でもいらっしゃったお方。「萬葉集注釈」は当時、万葉集の歌々を調べるときにはまず最初に開くべき基本図書であった。事実、私たちがお世話になった天理図書館では、閉架式というその図書館の性質上、ほかのほとんどの万葉集の注釈書は書庫にしまわれており、必要があれば司書の方に取りに行ってもらわなければならなかったが、この「萬葉集注釈」は参考図書として、誰でも手に取れる書架に収めてあった。そして…諸先輩方の学びの結果であろう…全20巻のすべてが背表紙が外れそうになるほどヨレヨレになっていた。
その「萬葉集注釈」の沢瀉先生が戦前に著した「萬葉古径」を私が手に取るようになったのは…
上記の如く、その頃私はもう幾度か萬葉輪講会に参加し、なるほど万葉歌を訓むということは、こういうことなのかと漠然と思いはじめていた。そしてこの頃は、夏休みに予定されている輪講会の合宿において行われる新入生の初発表の準備も始めなければならない時期でもあった。新入生の初発表の準備には3年生の先輩が1人に1人ずつついて、万葉歌の訓み方について教えてくださるというのがならいであった。
まずは本文の校合。校本萬葉集を見て諸本の異同を見ること…できれば、そこにある写本のもとにあたるべきこと。
万葉集はもとは漢字ばかりで書かれているので、漢字の意味を調べ、その漢字は万葉集の中ではどのように使われているか、できる限り用例にあたっておくこと。そのためには萬葉集総索引という便利な書物があると言うこと。
言葉の意味を調べるに時には、日本国語大辞典、時代別国語大辞典上代編を必ず見るべきこと。それだけではなく先ほどの萬葉集総索引を駆使して、疑問に思う言葉の使用例にあたらねばならないこと。
そしてあたう限りすべての注釈書にあたるべきこと。そしてその注釈書になにがしかの引用があった場合は必ず原典に当たるべきこと。そのほか諸々…
そしてそれら方法についても先輩は実に熱心に教えてくださった。そしてその先輩が読んでおくといいよと勧めてくださったのがこの「萬葉古径」であった。
「萬葉古径」は平たく言えば、沢瀉先生がその訓みや解釈に問題ありとされた萬葉集中の1首に焦点をあて、詳しい…実に詳しい訓釈を施した書である。たった1首の短歌を訓むために、ここまでしなければならないのか・・・私は驚愕した。
試みに、その中の1つの概略を示してみようか
第1巻p30~p36「み山もさやにさやげども」
小竹之葉者 三山毛淸尓 乱友 吾者妹思 別來礼婆
有名な柿本人麻呂の巻二133番の歌である。この歌の三句目「乱友」について沢瀉先生は文庫本にして36ページも筆を振るう。
まず先生はこの句の三句目「乱友」がどのように訓まれて来たか、その来歴を語る。古くは「ミダルトモ」と訓まれていたこの句は、鎌倉時代の僧仙覚が「ミダレドモ」と改訓し、後に江戸時代初期まで多くの注釈書がこれに従った。江戸初期に一案として「マガヘドモ」の訓みを提案する注釈書もあったが、これに従うものはなく、賀茂真淵により「サワゲドモ」、橘守部により「サヤゲドモ」の訓みが提示され、近年にいたっている。
しかるにこの流れに反して昭和に入り山田孝雄氏は、「亂」の字を「サワグ」「サヤグ」と呼んだ例は「證古今に存せず」とし、さらに奈良時代には「みだる」は4段活用だったのでその已然形に「ども」が接続した者と理解して差し支えない、と断じた。以降、「サヤグ」説を唱える学者もこの山田説を真っ向から駁するものはなかった。
これに対し沢瀉先生は万葉集中の「みだる」の用例に隈無くあたり、以下のような結論にいたる。
「亂る」の語は、古くは自他共に四段活用であったと想像することは出來る。熟語として四段の名殘は後世のものにまで見える。しかし單獨の動詞としては、他動の場合に四段かと推定せらるるにとどまり、ーーそれもいつ頃よりサ行にじたのでーー自動の場合は文献の存する以來旣に下二段になってゐたものである。卽ち、本論の主題の歌の第三句を「ミダレドモ」と訓むべき「證古今に存せず」と申すべく、その訓には從ひ難ひのである。
そして「乱」の字が本当に「サワグ」「サヤグ」と呼んだ例は「證古今に存せず」と言えるのかの論証へと進み、さらにはいくつかの段階を経て、この「乱友」を「さやげども」と訓んでいいのではないかとの結論にいたる。そこにいたるまでが全部で36ページである。
上に示した「乱」が四段活用であるとの確実な例が奈良時代には認められないとするまでの考察に沢瀉先生は8ページの紙数を尽くされた。本来ならば残り28ページの論の展開もお伝えするべきであろうが、ここまで書けば私の意図するところはご理解いただけたかと思うし、第一このまま沢瀉先生のなさった作業のすべてを紹介し続ければ、この記事はいつ終わるとも知れぬ。さらには、拙文によりこの書に興味を抱き、手に取ってみようとお思いになった方の楽しみを奪ってはいけない。
大変な世界に足を踏み入れてしまった…と思った。それとともに、まことに魅力的な世界が私の目の前に広がっていることを私はこの書によって教えてもらった。
今も、時々手に取る大切な一冊(本当は全三巻)である。
上の文中、旧字体と新字体があちらこちらに紛れて使われているが、これは以下の2つの基準で使い分けた。
・万葉集の「万」の字については、基本的には書名、組織名を示す(いわゆる固有名詞)場合 は、その書、組織がどちらかを使っているかに従った。それ以外は基本的には現在通用している「万」の字を使っている。
・引用文中は、その書にあるとおりの字面を使っている。
以上は当然と言えば当然の措置ではあるが、これまで自分が書いてきたものを思い返せば、そのあたりがいい加減になっていたように思う。これを機に、このあたりを厳密に運用して行きたいと思う…どこまでできるかは自信ないけれど…
コメント
町の本屋さんで『万葉古径』が買えたというのは良い時代だったことと思います。
大学のある町ということで、アカデミックな品揃えだったこともありましょうし、当時はまだ文庫の種類もそう多くなかったこともありましょうかね。
今は、いろいろな出版社から文庫や新書が出ているので、書店の棚は取り合いでしょう。新刊しか置けないような状態だと学術的な文庫本には厳しいですよね。
図書館の参考書架にあった万葉集の諸注釈がボロボロになっていたというの、目に浮かぶようです。学生さんたち、一所懸命に勉強したのですよね。
『万葉古径』の引用文中、私のPCでは「?」になってしまった文字が2ヶ所あります。旧漢字が化けたのではないかと思います。たぶん、「既に」と「即ち」かと思われます。
Firefox、Microsoft Edge、Google Chrome、いずれも同様で、Androidのスマホもです。
源さんへ
>「?」になってしまった文字が2ヶ所あります
ご指摘ありがとうございます。ご想像の通りで、旧字体がうまく表示されなくって「?」になったのだと思います。修正してみましたがいかがでしょうか?
>大学のある町ということで、アカデミックな品揃え
大学といっても、小さな大学ですからねえ。なんせ国文科は1学年40人。2軒の本屋さんはよく頑張っていてくれたと思います。でも、私たちがいたころにはなかった大学生協が書籍の販売を始めたら・・・2軒とも今はなくなっちゃいました。その代わりに私たちがいたころにはなかった古本屋さんが一軒。これがまた結構国文学関係の書籍がそろえてありまして、現役の学生さんの役に立っていることと思います。
三友亭主人さん
早速のご対応、ありがとうございます。
今度は2ヶ所ともバッチリです。
2軒の本屋さん、なくなってしまいましたか。それは残念ですね。
大学生協のせいばかりではなく、出版不況や某アマゾンなどの影響もあるのでしょうね。
国文学関係の本を揃えている古書店はありがたいですね。
源さんへ
>国文学関係の本を揃えている古書店はありがたいですね
私たちが在学中にあってくれればもっとよかったんですけどね(笑)。
お目当ての本を探すのは確かにネットが便利ですが、やっぱり本屋さんに行く楽しみは捨てたくないですねえ。