舎人皇子に献る歌(二首のうち一首)
ふさ手折り 多武の山霧 繁みかも 細川の瀬に 波騒きける
(ふさ手折り)多武峯の山霧が深いからだろうか、細川の瀬に波が随分とさわいでいるなあ。
(九・1704)
桜井市と明日香村の境界にそびえる多武峰(607m)。 藤原鎌足 をまつる談山神社がある。「とうのみね」は「たむのみね」の音便。「飛鳥時代に道教を信奉していた斉明天皇が、その山 頂付近に石塁や高殿を築いて両槻宮とした(日本書紀)ことから、この山が吉 野山と並んで神仙の地と考えられていたと推定できる。
田身嶺に冠らしむるに周れる垣を以てす。復た嶺の上の両つの槻の樹の辺に、観を起つ。号けて両槻宮とす。亦は天宮と曰ふ。
日本書紀 斉明天皇二年
コメント
多武峰には1度だけ行ったことがあります。
中学校の修学旅行で、多武峰観光ホテルに泊まりました。
前日は吉野の竹林院で、翌日がここでした。
なぜ平野部でなかったのか不思議ですが、思えば、飛鳥には200人ほどの教員・生徒が泊まれるような施設はなかったのでしょうかね。
大昔過ぎてほぼ何も覚えていないのが残念です。
源さんへ
吉野の竹林院と多武峰観光ホテルですか・・・
中部、南部では・・・あんまり大人数で泊れる宿はなかったですねえ。
奈良市まで行けば、修学旅行専門のような宿もありましたし、天理市には修学旅行会館なんて宿がありましたよ。
ですから、やっぱり選んでいったんじゃあないんですか。立地は良いですからね(中学生にとってどうだったか知りませんが 笑 )