今週もかなり前に書いたものの焼き直しである。
宗祇、東国修行の道に、二間四面の奇麗なる堂あり。立寄り、腰をかけられたれば、堂守のいふ、「客僧は上方の人さふらふや」。「なかなか」と。「さらば発句を一ッせんずるに、付けて見給へ」と、
新しく造りたてたる地藏堂かな(堂守)
物までもきらめきにけり(宗祇)
と付けられし。「これはみじかいの」と申す時、祇公、「そちのいやことにあるかなを、たされよ」とありつる。
以上は 落語の祖とも言われている、戦国期から江戸初期の僧、安楽庵策伝の著すところの醒睡笑の巻之三の小話の一つ文字遣いは読みやすいように改めた、若干の注を付けた。
おおよそ、次のように理解すればよいのかと思う。
宗祇は連歌の修行のため東国を旅していた。するとその途中の道に二間四方の立派なお堂があった。宗祇は底に立ち寄り腰を下ろした。すると、そのお堂の堂守が現れて言う。「あなたは上方よりいらっしゃった方か」。宗祇は答える。「そのようなものです」。堂守言う。「ならば私が発句を一つものしようと思うのでそれに下の句をつけて下され」。と言って
新しく 作りたてたる 地蔵堂かな
と詠む。宗祇はその句に
物までも きらめきにけり
と付けた。
すると堂守は
「これはみじかいの」。と言う。宗祇は答える。「そちのいやことにあるかなを足されよ。」と。
さて、この話のおもしろみは何処にあるのか…まず、堂守の発句を見て頂きたい。
本来発句は五七五とあるべきである。ところが堂守が示した句は五七七。みごとなまでの字余りである。むろん、字余りが必ずしも咎められるべきであるとは思わない。けれども、やはりここは、素人の堂守なるがゆえのことのように読み取れよう。それに対して、宗祇は五七と答える。付け句は本来七七。発句と対になり五七五七七とならねばならない。ところがこれでは五七七五七。まるで体を為さない。よって堂守は己の字余りを棚に上げて「少し短くはないですか。」と言った。宗祇は「あなたの発句の余った二字を足して下さい。」と答えた。すると五七七の最後の七から二を引いて発句が五七五、余った二が下の五七に行くから・・・・ああもう面倒くさい。とにかく、数字の上では五七五七七と整った物になる。
けれども、それだけでは単なる足し算引き算の問題である。私は面倒くさくなってしまったが小学校も二年生にもなれば出来る問題である。注目したいのは発句の余った二字の「かな」。この発句の上での意味はいわゆる「切れ字」ってやつだ。音調を整えたり、詠嘆の意味をそえたりする。しかし、その「かな」を宗祇の五七の上に足すと
かな(金)物までも きらめきにけり
となる。
もう一度、堂守の句を見てみよう。
新しく 作りたてたり 地蔵堂かな
試みに問題となっている字余り分の「かな」を取り去ってみよう。
新しく 作りたてたり 地蔵堂
出来の良しあしはともかく、一通りの意味は整っている。「かな」は必要ない。
堂守はおそらくは発句の素人愛好家と言ったところだろうか。だから発句には「切れ字」が必要もないところなのに、使わなければならないとの思いこみから、字余り承知で「かな」を付けてしまったのではないか。連歌の宗匠たる宗祇はその字余りを非難することなく、その過ちを訂正してしまうのだ。
この話は「宗祇諸国話」には少しシチュエーションを換えて載っている。まず堂守が田舎の宗匠となっていて、発句は「新しく つくりたてたる 薬師堂かな」となっている。これに対して宗祇は「物光る 露の白玉」と付ける。田舎宗匠は宗祇の字足らずに難癖を付ける。宗祇はその心を説明する。
新しく つくるたてたる 薬師堂 金物ひかる 露の白玉
その心を知った一座は肝をつぶす。そしてもう一つつぶれた物がある。田舎宗匠の顔だ。どちらが本来の話か分からない。あるいは全く違った話が語り継がれるうちにそれぞれの話へと変容をとげたのかも知れない。さて、皆さんはどちらの話がお好みか?
以上は私がブログというものを始めて間もないころに書いたものである。いくつかのブログサービスを移り歩いて今の住所に落ち着いた私だが、上の文章は確か一番初めにつかっていたライブドアのブログサービスで書いたもの。はじめの頃は度々引っ越しを繰り返していた私であるが、引っ越しの旅にデータを引き継ぐことが煩わしく、引っ越す際にはそれまで書いたものをそのままにサービスを解除し、次のブログサービスは一から書き始めるということを繰り返していた。引っ越しというよりは、一つのブログを閉鎖し、そして新たに開設する…という表現がふさわしいかもしれない。
ただ、そんな私でもどうしても捨てきれない文章がいくつかあった。それらのうちのいくつかを直前の住所であったsoramitu.netの住所の時は「屑籠」というページを設け、そこにライブドアのブログサービスを使っていたころ書いた文章を三つだけ残しておいた。
前回の記事で、「桜井の万葉」のボタンを上につけたことはご説明したが、「屑籠」の方は…もういいかな…と思っている。ただ、せっかく残しておいたものをボタン一つで消してしまうのも、なにやら惜しくもあるので、通常の投稿として、ここにお示しし皆様のお目汚しとするばかりである。
※ ところで、いきなり醒睡笑の引用から文章が始まった。けれども、これは私が自分で見つけた文章ではない。この文章を書く直前に私は佐竹昭広氏「万葉集抜書」という書を紹介させていただいたのだが、引用した醒睡笑の一文はその中に収録されていた「五七五七七」という論文で紹介されていたものである。まあ、言ってみれば孫引きである。悪しからず・・・
コメント
ある先生、江戸の学会に出席した折、国会議事堂に立ち寄り、石段に腰をかけて一服しておられますと、偉そうな爺さんが現われましてな、「あんたは学術会議の先生ですかな」といいます。「さよう」と答えたところ、「それなら私の発句に付けてごらんなさい」といって、英文原稿を自慢げに見せながら、
越南でわが読み上げし演説文かな(偉そうな爺さん)
これに、
振りたるにうそを読むとは(先生)
と付けられたところ、「これでは短いし意味不明ではありませんか」と鼻で笑うから、先生、「あなたの句にある余計な『かな(仮名)』を足してごらんなさい」とおっしゃったそうな。どっとはらい。
なおこの昔話には別バージョンがありましてな、
ASEANを英語で読めばアルゼンチンかな (偉そうな爺さん)
これに付けて、
かなも読めずに流す冷汗(先生)
先生は爺さんに憎まれて、その後学術会議から追放されたのだそうな。げに権力とは恐ろしきものかな。
>薄氷堂さんへ
お見事!
まさに「 笑 笑 笑 笑 笑 笑 笑・・・・・」
ですが、笑ってばかりはいられません。
>げに権力とは恐ろしきものかな。
今日の毎日新聞の夕刊、辺見庸氏が「偉そうな爺さん」を「特高顔」と評していました。むろん戦前の特高警察のことですが、それも戦中物の映画の中で描かれる「特高」のその顔とそっくりだと。まさに言いえて妙。
そして政治手法がまさのその「特高」的であるとの指摘。
ただ頷くしかありませんでした。