先日、ちょいとした用事があって、職場のある宇陀市の中核駅、榛原駅に行った。日頃は自動車で通勤しているため、駅にはあんまりあんまり近づくことはない。だから、たまの機会があるといろんなものが珍しく見える。
へえこんなものがあるんだ・・・まあ当たり前か、観光地図ぐらい・・・なんて思いつつ、あれ・・・この看板以前に紹介したことがあったんじゃあないかな、と思って調べてみると確かにあった。
これは是非とも足を運ばなければ・・・と思いつつ、この日はまだ勤務中。「あぶらや」には足を運ぶことなく、泣く泣く職場に戻った。こちらも近日中に尋ね、詳細な報告をしたいと思う。
と後日の取材を期していたのだが、そこはそれ、口先だけの私のこと、いまだ「あぶらや」さんには足を運んではいない。ここでもう一度「近日中に尋ね、詳細な報告」をお約束し、(あてにならないけど)今日は地図のほかの場所についてご紹介したい。
まずは地図の上部。左側から順に、鳥見山。この山については、以前こんなお話をしたことがある。
宇陀市と桜井市の境界をなす山で標高は735m弱といったところ。日本書紀 神武天皇の段に
四年の春二月の壬戌の朔甲申に、詔して曰はく「我が皇祖の靈、天より降り鑒て、朕が躬を光らし助けたまへり。今諸の虜、已に平けて、海內事無し。以つて天神を郊祀りて、用て大孝を申べたまうべし。」乃ち靈畤を鳥見山の中に立てて、其地を號づけて上つ小野の榛原・下つ小野の榛原と曰ふ。
とある「鳥見山」がこの山ではないかとも考えられており、そう考えると、「榛原」という地名が少なくとも日本書紀の編纂時期を下らない時期であることになる。
榛原という地名の由来にもかかわる由緒正しきお山である。頂上付近は公園となっていて、つつじの名所となっている。子どもが小さかった頃はよく連れて行ったものだが、なんか神社が一つあったような記憶がある。そんでもって今詳細な頂上付近の地図を見ると春日宮天皇妃陵なんてのもある。春日宮天皇は
石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも
万葉集巻八・1418
の1首で有名な志貴皇子。ご自身は即位してはいらっしゃらぬが、ご子息の白壁王が即位し、光仁天皇となったため、死後追尊され春日宮御宇天皇と呼ばれるようになった。
・・・またこの御陵のある場所の地名は桜井市吉隠。吉隠と言えば、とある人物の名が浮かぶ。この御陵はそのお方の墓ではないかとの説もあるが、ここで深入りするときりがない。先を急ぐ。さらにまた件の本居宣長ゆかりの宿、「あぶらや」さんは後日をご期待ということでその右へと進む。
山部赤人の姿が見える。
そう額井岳中腹にひっそりと祀られた山部赤人の墓が、そこにはある。
上の地図の左下である。中央の又兵衛桜はこの辺りではちょいと名の知られた巨大な桜。なんでも、例の後藤又兵衛が本当大坂の陣を生き抜いていて、この宇陀の里でひっそりと余生を送っていたなんて話が当地には伝わっているらしく、この桜の古木の命名はその名にちなんだものだという。
気になるのは写真左端の柿野本人麻呂さん。このブログにいつもおいでの皆さんには、ここになぜ人麻呂さんがいらっしゃるのかはもうすでにご存じのはず。そう、ここは阿騎野の地。
以上を参考にしていただきたい。
(続く)