以前お伝えしたが、この4月、私のクルマのオーディオを画面をタッチして操作するものにかえた。その機材の機能にはスマートフォンとの連携があり、大いに活用していること、そこで述べた。音楽然り。今はほとんどYouTube Musicで聞いている。運転を始める前にお好みを曲を一曲選択してしまえば、あとはあっちの方で勝手にこちらのお好みを忖度してくれる。気に入らなければ「オッケーグーグル」てな具合で、新たな曲を指定する…それでいい。
ただ、忖度してくれるとは言っても、それはあくまでこちらの好みの傾向を忖度してくれるだけで、我が音楽体験がいかなるものであるとか、それぞれの歌に対して私がいかなる思い入れを持っているかなどはしょせん理解できるようなものではないので、これまでの自分の人生の中で一度も触れなかったような歌に出会うことがある。多くの場合は、すぐさま次の曲へとスキップするのだが、運転中の都合で、時々、すぐにその操作ができないで頭の方だけ聞いてしまう時がある。そして…これまで全く知らなかった、当然顔も、その年頃も全く知らない歌い手さんの声についつい引きずり込まれてしまうことがある。
次の曲はそんな一曲である。
私を惹きつけたのは、半崎良子というこれまで全く知らなかった歌い手さんの力量であり、そのシンプルな、ちょいと賛美歌風のメロディーでもあったが、その歌詞は聞いていた私に米どころでもある我が郷里宮城に広がる秋の実りを思い出させてくれた。
最近ではめったに帰ることもなくなった宮城ではあるが、たまあに8月の下旬ぐらいに帰ったりするとどこまでも続く黄金色の波に、奈良で生まれ育った我が家人は「こんなにいっぱいのお米、誰が食べるん。」なんて言ったりする。
そして…この歌を聴きながらその黄金色の波から、連想されたのが…かなり前に見た映画のラストシーンであった。
その映画の名は「橋のない川」
ご存じの方も多いと思うが、奈良県出身の小説家住井すゑの長編小説を映画化したものだ。1部から7部まで掲載・刊行された。我が家の本棚には、確か第6部まで並んでいたように記憶している。そのあたりまでは私が子供時分に書かれたものであるから、私が読んだものではない。おそらくは仕事の関係で、奈良と宮城を行ったり来たりしていた父が購入したものだろうと思う。
なんでも8部は表題まで書いたところで作者がなくなったので、まあ、未完の大作というにふさわしい作品かと思う。
この奈良県内の架空の被差別部落を舞台に描かれたこの小説は1969年、1970年に今井正によって映画化され一定の評価を受けていたかとは思うが、あれこれとした事情の中上映を阻止しようというキャンペーンが張られ、上映の機会が減少していった。
そして1992年東陽一によってふたたび映画化された。私が見たのはもちろんこれである。
もう30年も前に見たものであり、ほとんどそのストーリーは覚えていないがオープニングとそのエンディングのシーンだけがありありと浮かんできたのだ。そのシーンとは…ちょいと記憶に自信はないが、正確な記憶がおありの方の訂正を希望しつつ思い出してみよう。
まずはオープニング…というよりはある程度ストーリーが展開されてからだったようにも思うが、そのタイトルが、エルネストカブールのテーマソングが流れる中に画面に表示される。そして、その背景として映し出されたのが田植えが済んだばかりの水田。たっぷりと水の張られた水田に、植えられたばかりの苗が青々と映し出される。主人公たちはまだ小学生の頃のことである。
やがて…小学生だった主人公たちは成長し、様々な経験を経ながら成人してゆく。作品の終わりにも近いころ、順番は思い出せないのだがたぶん水平社創設、続いてヒロインである七重の祝言。この祝言の前に彼女の夫になる青年と共に孝二は警察に逮捕される。けれども、七重は「うち、水平社宣言と結婚するんやもん」と花婿不在の祝言があげられる。
そしてエンドロール。さきほどのエルネストカブールのテーマソングが再び流れる。そしてその背景は……今度は豊かな実りの時期を迎えた黄金色の波。今後もあるだろう多くの苦難を予想させながらも、「橋のない川」に橋を架け続けようとする彼らのこれからの営みが暗示されるように私には見えた。
多分、今映画を詳細に見返せば、主人公たちの成長に応ずるように少しずつ成長する稲の姿を見ることができるかもしれない。そんなふうに思えるほど田植え直後の水田から始まり、実りの時期を迎えた黄金色の波で終るというこの構図は、主人公たちの成長を稲の成長によって暗喩しようとの意図が感じられた。
ちょいととりとめもない文章になってしまった。ふと耳にした歌から、連想に次ぐ連想で、あまりあてにならない記憶を開陳するに至った。ここまでお付き合いいただけたとしたら、もうこれは御礼のしようもないほどありがたいことである。文中にも申し上げたが、私の定かではない記憶を訂正していただけることがあれば、幸いこれにすぎるものはない。
コメント
今後は、初めての曲が聞こえてきても、すぐにパスしないで、しばらく聴いていらしたら、また心に響く曲との出会いがあるかもしれませんね。♪
源さんへ
本当にそうですよね。
根がせっかちですから、つい先へ先へとしてしまいがちですが、
こういう出会いも大切にしないといけないですよね。